2013年5月28日火曜日

翻訳論-尾崎俊介(2013)『S先生のこと』(新宿書房)

このもちサバ日和も、開始して3ヶ月がたちました。
閲覧者もだんだん増えてきて嬉しい限りです。
昨日sava君と話していましたが、いつか先生になった時にこのブログを読み返したら恥ずかしいこともいっぱい書いているんだと思います(苦笑)

しかし、このブログのおかげで普段の読書や講演会への参加がより”主体的”になったように感じています。例えば、本を読むときも「誰かに伝えるとしたら、どこをどのように伝えよう」と考えながら読めるようになり、積極的に線を引いたり付箋を貼ったりするようになりました。少し話しは脱線しますが、先日NHKの「テストの花道」(毎週土曜日10:00-10:3再放送)で「レポータ勉強法」というものが紹介されていました。自分がレポーターになって”取材している”つもりで教科書を読んだり授業を聞けば、必要なポイントが頭に入り、さらに説明をすることで頭の中の記憶を取り出す練習もできる、というものです。

ここでの記事作りも一種の「レポータ勉強」なのかもしれません。少なくとも人様に読んで頂くというプレッシャーで、拙い表現力ながらもアウトラインを作ったり何度も推敲したりしております。自分の勉強にもとても役立ってると思います。そんなこんなで(?)、是非これからも末永く本ブログをよろしくお願いします(^^)


さて、本題です(笑)今回も書評になります。
S先生のこと
S先生のこと尾崎 俊介

新宿書房 2013-02
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研究テーマを翻訳にし、だんだん方向性が決まる中でゼミの教授に勧められたのがこの本です。
恥ずかしながら、尾崎先生のことも須山先生のことも本書を手に取るまでは存知上げませんでした。しかし、読み始めると止められなくなり、この美しい師弟関係の世界にしばし魅入りました。

もともとの目的からして、本記事では須山先生の翻訳論に焦点を当てることにしますが、ぜひ本書をお読みになる方は文学の魅力、師を持つことの意味など多くのことに思いを馳せて頂ければと思います。また、尾崎先生の語り口がとても優しくて読みやすいです。「文体で好きな作品はありますか」と以前先生に尋ねられたことがあります。その時は「好きな文体?」と固まってしまいましたが、本書を読みながら面白い表現だったり自分も使ってみたい言葉遣いだったりというのが次々と見つかり、もしかしたらこのようなことなのかもしれないと思いました。

さて、須山先生の翻訳論がよく現れている箇所をいくつか引用したいと思います。

〔1〕原文志向

翻訳をする際に「原文志向」と「訳文志向」という考えがあります。例えば、原文に忠実に訳そうとすると「原文志向」で、作者の意図などをそのまま伝えるのに成功します。しかし、訳文での読みやすさを第一とすると、いくらか原文からは離れた訳となります。このような考えを「訳文志向」といいます。

この二項対立においては、須山先生は「原文志向」であり、尾崎先生は自身を「訳文志向」とされています。どちらにもメリットはありますが、以下の一節から須山先生の原文尊重の強い信念が伺えます。

作者の頭の中に思い浮かんだ言葉の順序を、翻訳者が勝手に変えてはならない。これこそが、先生がお若いときから心がけていらした、望ましい翻訳のあり方だった。つまりは、黒衣主義。翻訳
者たるものは、創作者のプロセスにまで忠実であれ、ということ。それを改竄して読者に伝えてはならない、ということ。須山先生は、このポリシーにあくまで固執された。(p.69)

「黒衣主義」という言葉が強く響きました。以前通訳者の鳥飼先生の著書(『戦後史のなかの英語と私』)を紹介しましたが、そこにも「通訳者は自分の声を持つことができない」という意味深い一文がありました。鳥飼先生のこの文にも、翻訳者や通訳者は作者の声を届けるための「黒衣」という認識が現れています。

もちろんここでは、どちらの方が良い考え方だとは言えません。どちらにせよ、優れた翻訳作品がたくさん生まれているわけですから。一つ言えるのは、翻訳する上で上の2つの立場が常に関わってくるという点で、須山先生は「原文」を大切に翻訳されてきたのです。


〔2〕翻訳に必要な要素

翻訳(英語→日本語)をするのに必要なものは何でしょうか。多くの方は「英語力!」とおっしゃるかもしれません。あるいは翻訳を少しでも体験された方ならば「日本語力」とおっしゃるでしょう。実際に翻訳をしてみると、英語の意味を完全に理解することよりも、読み取った内容をいかに日本語で言うかに悩みます。

自分も大修館書店発行の「英語教育」の英文解釈演習教室に毎月投稿していますが、そこでは読み取った内容を日本語で表す時に毎回悩んでしまい、同じ箇所で30分や1時間かかってしまうこともありました。(これはひとえに自分の日本語語彙不足であることを示しているのだと思いますし、ブログを読んで下さっている皆様でしたら既にお気づきのことかと思います笑)

須山先生の体験を読んでいても、やはり日本語でどう表すかにこだわりを持たれていたことが伝わってきます。そのときに先生が取ったある手法があります。


先生は翻訳という仕事に関して、次のようなことを書かれています。翻訳の仕事を私はいくつかの段階に分けている。まず第一は、その作家の全作品を読むことだ。言葉の好み、癖、表現の特徴、文の調子、物の考えかた、そういったもののなかに自分をひたして、体の中にそれが自然にしみこむのにまかせる。」(「辞書以外の意外な辞書」、『翻訳の世界』一九八〇年四月号)(pp.143-144)

須山先生は、フォークナーの作品を訳しながら、彼が生み出したリーナ・グローヴという登場人物の心の置く不覚に入り込み、いわばリーナになり切って、彼女がこの瞬間に感じていたはずの絶望感や無力感を共有している。もはやここでは、リーナ・グローヴと須山先生、フォークナーと須山先生が、分かち難いことになっていると言っていいでしょう。(pp.149-150)

すなわちある本を訳すことになったとしたら、作者の全集を読み、文体や登場人物の言い回しなどに自分をひたします。そして、自らがそのキャラクターだったらどう言うだろうか、または作者が日本語を話せるとしたら何て言うだろうか、と思いを馳せながら訳すそうです。



とにかくその熱意に驚きます。私が英文解釈演習に投稿した際の話ですが、4月号ではある哲学者がスーパーマーケットで持論を展開するという話を訳すことになりました。そのとき、なんとか彼の言いたいことはわかったのですが、「この人はどのような語り口なのだろう」というところまで意識がおよびませんでした。先生に指摘されて初めて気づきましたが、語り口についてはまったくイメージが湧きません。例えば、彼は一人称は「私」なのか「自分」なのか。

須山先生のなさった全作品を読む、自分を作品にひたす、といった手法は、このような語り口を訳す際の困難点を解消したのではないでしょうか。作者の作品をとにかく読んで、自分が作者にな
ったつもりで訳す。これこそが名訳を生んだ影の努力なのでしょう。


このように述べてきましたが、やはり自分の未熟な翻訳経験で語るには限界があるようです。特に(1)の「原文志向」「訳文志向」は、まだ翻訳自体に必死で、意識するに至りません。まずは自分が翻訳をしたり、翻訳作品を鑑賞したりして経験を積んでいかねば・・・。


2013年5月20日月曜日

鳥飼玖美子(2013)『戦後史の中の英語と私』みすず書房



同時通訳で有名で、現在は英語教育会の最前線に立たれる鳥飼玖美子先生の新著である。先生の英語学習歴や通訳歴、また英語教育に携わるようになった経緯などが詳細に記されている。鳥飼先生の名前は「翻訳学入門」の監訳者として伺っていたが、そんな先生が新著を出すということで興味を持ち手に取った次第である。ちょうど英語教育史の勉強にも役立つだろうし・・・という軽い気持ちで選んだが、読み始めると止まらず一日で読みきってしまった。(断っておくが、私は読書は特別に得意ではなく、むしろ苦手なほうである。)

英語教育を専攻されている方にはもちろん、直接関係ない方にも読みやすく伝わるものが多いだろう。このような本書の引用をするのは恐れ多いが、以下の3観点に基づいて紹介したい。


(1)戦後の英語教育史

最近、大学院入試対策のために英語教育史の勉強会を開いている。そこで戦後の英語教育史の流れや教材・指導法の変遷を学んでいるわけだが、本書ではその流れを実際に体験された鳥飼先生が直に語っている。当時の実情がよく伝わるし、何より歴史には記述されないが英語教育に影響を与えた多くの要素もしっかりと記されている。
たとえば、日本の敗戦直後に中学で英語を学んだ國弘正雄氏の英語学習歴を第1章から引用したい。

英語を一生懸命声を出して読んでいるけどね、外国…本国人、ネイティブは身の回りにいないわけでしょう。それから、今と違うからテレビもないし、ラジオの英語番組もないし何もないし、なにしろ英語なんているのは適性語だと、こういう時代でしょう。そうするとね、外国人に、本当に外国の人と英語で一言でも二言でも交わしたいと思うじゃない?中学二年生だけどね。思うじゃない?ところがいないじゃない?どうしたらいいだろうと思った。
そこで中学二年生の國弘少年は考えた末に、「捕虜収容所に行けばいい」と思いつく。(p.13)

國弘氏はそう思い捕虜収容所へ出かけていく。そして出会った1人の外国人に"What is your country?"と聞いてみる。
(本来ならWhere are you from?と聞くのが自然なのだろうが、当時に出てきた表現はこれだったようだ。)
しかし、この表現は見事通じることになる。これが國弘氏にとって「原体験」(p.17)となる。

英語教育史を勉強していても、戦後に出された教科書("Let's Learn English!")やその後出されたオーラル・アプローチ(Fries)といった事項は理解できるが、当時の風景や実態というものはなかなかわかりにくい。しかし、今のようにインターネットや洋書が使用可能ではない時代に、捕虜収容所の存在が英語学習への動機付けの役割を担ったというのはとても興味深い。(少なくとも、1人の少年に英語への憧憬を抱かせたことに変わりはない。)

他にもBeatlesやアポロ月面着陸、沖縄返還などが英語教育(あるいは通訳教育)にどのように影響を与えたかも書かれている。英語教育に携わる者として、もちろん教材や指導法の変遷も大事だが、こういった一つ一つの出来事が英語教育を変えていったことも知っておきたい。



(2)教師論

教師論に関する本は山ほどある。教育実習が終わってからあまりそのような類の本は読むことはなかった。本書はよくある「教師はこうあるべき!」というべき論を前面に掲げるわけでもなく、むしろ読み手の内面からふつふつと情熱を掻き立てるような感じだった。(この辺をうまく表現できないところに自分の表現力のなさを感じてしまう。笑)

当時小学6年生だった著者は、担任の先生に卒業する直前に「意欲を持ちなさい」といわれた。しかし、そういわれてもどのように意欲を出せば良いか分からなかった。本気でやる気を出したのは高校生からで、アメリカ留学を志したことがきっかけだった。つまり先生の「意欲を持ちなさい」という言葉は直接働かなかったことになる。当時の述懐を第6章「教育そして教師というもの」から一部引用する。

小学校を卒業間際に担任教師は私に対し、「中学に言ったら、意欲を持ちなさい」と諄々と説いた。私は素直に頷き、中学生になったらやる気を出すと約束した。しかし私は、中学ではやる気が出なかった。Aクラスに不合格になったのを救ってもらってからはまじめに勉強するようになったが、あれが意欲だったのかどうかは疑問の余地がある。私がやっていたのは、救ってくれた先生の恩に報いるために教科書をちゃんと勉強しただけで、それ以上のことをしたわけではない。では、担任の先生のアドバイスは無駄だったのだろうか。検証したところ中学で目に見える成果が出なかったという意味では、有効ではなかったと判定されるかもしれない。(途中省略)
教育には時間がかかる。そして、教育成果が目に見える形で現れることは少ない。因果関係が明確な科学実験とは違うから、結果はすぐには出ないし、検証も難しい。しかし教育は、本人もその効果を意識できないまま、長年かけて、影響を及ぼす。しかも教育はやり直しがきかない。だから教育は怖い。そして、だからこそ教育は人間にとって大切なのである。(pp.184-186)


では、この教師の実践(「意欲を持ちなさい」と言ったこと)は無駄に終わったのだろうか。結果的に見れば著者は一流の同時通訳者となったわけで、その意欲的な姿は本書に納められている。ゆえに成功と見ることもできる。かといって、直接的に教師の言葉が筆者の意識を変えたわけでもなさそうだ。本箇所から、教育学が科学的手法に頼りすぎてもいけないことが示唆されているようにも思えた。




(3)今日の英語教育へのメッセージ

最近英語教育はよく注目されている。例えば、小学校外国語活動の導入、高校学習指導要領の英語は原則英語での文言、最近ではTOEFLの大学入試導入などがあげられる。これらについて多くの英語教育論者が持論を述べていて、これまで自分はそれらの論を理解して終わりだった。しかし、本書の結びの以下の部分を読み、はっとさせられた。

  今日の日本は、戦時中とはまったく逆の流れになっており、社会をあげて「英語は絶対に必要だ」と思い込み、「コミュニケーションに文法は不要」「受験英語があるから話せない」「大学入試はTOEFL/TOEICにすべき」という思い込みに浸っている。この状況が健全だとは思えない。戦時中の「英語は敵性語」が今や「英語は国際語」となったことは果たして進歩なのかどうか。コインの表と裏のように、主張は一八〇度異なるけれど、社会全体が根拠もなく思い込んでいる、という意味では同じで、本質は変わらないという気がしてならない。
 このような「思い込み」が、いかに危険であるかは、二〇一一年三月一一日大震災とその後の原発の事故で、私たちは思い知ったはずである。
 「思い込み」から脱却するには、個々人が批判的精神を持って、自分の頭で判断をするしかない。空気を読むのではなく、社会を覆っている空気が果たして安全なものであるのかどうか、自分の力で見極めるしかない。「英語は必要だ」という言説は、なるほどと思わせる説得力があるが、それが世界のすべてではない。本当に必要なのかどうか、必要だとして、それはなぜなのか、人に聞くのではなく、自分で確かめなければならない。(p.250)

2003年PISA調査より「批判的思考力育成」という言葉がよく飛び交うようになった。生徒に批判的に思考させるのは大事だが、私たち教育を語る者(学者や専攻者のみならず広く教育に関わる人を含む)こそまずは批判的に私たちの「思い込み」を疑う必要があるのだろう。かく言う自分も無条件に多くの意見をこれまで受け入れてきた。(おいおい!)なので、できるだけ相手の意見を多くの面から見て、長所・短所をバランスよく見極めて自分の判断ができるようになっていきたい。



最後にあくまで個人的な感想だが、著者の英語学習歴の経緯がよく紹介されている反面、その学習法についても知りたかった。どのような英語学習を学生時代に行なわれて、同時通訳者という職業につけたのかは、一人の外国語学習者としても興味があったため、少し残念に思った。しかし、そのような枝葉末節な点は敢えて外されて書かれたのだろう。その点を除けば、戦後の英語教育がどのように展開したのかを知るのには非常に価値のある一冊である。


戦後史の中の英語と私
戦後史の中の英語と私鳥飼 玖美子

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2013年5月14日火曜日

山岡洋一(2001)『翻訳とは何かー職業としての翻訳』日外アソシエーツ


「訳す」という言葉は英語教育では一段特別な意味を持っているように思える。(これは自分にとってのみかもしれないが。)

模擬授業で訳す課題を出して「なぜ訳させたんですか。」と聞かれたことがある。訳させたい箇所があっても発問などの他の方法で意味をとらせるだけにしなければいけないのではないかと考えてしまう。どうも英語教育では訳はあまり好まれない。

その一方で、学習塾では訳が大活躍している。アルバイトをしていると生徒から「訳を教えてください」と尋ねられることも多い。訳させるだけではだめだ、という主張も理解できるが、訳している中で見つかる発見もあるはずだ。例えば、名詞構文を訳すときは、英語で用いられている名詞を日本語では用言の形で訳す。これも日本語と英語の違いを実感する良い機会ではないか。
現実的にも、テストや入試でも下線部訳の問題は依然として出題されている。生徒が訳を欲しがるのも無理はない。



このように訳には多くの問題がはらんでいるようだが、まず「訳」とは何かを再考する必要がある。

そこで登場するのは『翻訳通信』でお馴染みの山岡先生の著書、『翻訳とは何かー職業としての翻訳』である。ここでは「訳す」ことを①英文和訳をすること、②翻訳をすること、に分けている。両者の違いについて、氏は以下のように述べている。

英文和訳の目的はなにか。英文を読む力を教師に示すことである。[...]翻訳の目的はなにか。「原文の意味を伝える翻訳」の目的は、原文を読まない読者に原文の意図や意味を伝えることである。[...]英文和訳と翻訳の違いはこうも表現できる。英文和訳では、原文を読んで、訳す。翻訳では、原文を読んで、理解し解釈し、その内容を日本語で執筆する。英文和訳では英語が中心であり、翻訳では日本語での執筆が中心である。(pp.118-119)

学校のテストや大学入試では、自分の知識を示すための符丁として英文和訳が行われている。確かに、大量の答案を採点しなければならない場面では、このような英文和訳も必要かもしれない。また、長文読解を主眼とした授業では、どのように上手に訳すかという問題は本筋からそれてしまうようにも思える。しかし、もう一つの訳ーすなわち翻訳ーも注目に値するのではないか。

翻訳では、原文の内容を他者に伝えることが重要である。本書でも「翻訳の秘訣、それは完成度の高い日本語で書くようにつとめることである。」(p.108)と言われている。誤解を招くことを承知で書けば、どれだけ原作に忠実でも日本語で読みやすければよい翻訳であり、いくら英文和訳の公式を使って「正しく」訳したとしても、読みにくければ良い翻訳とは言えない。

例えば、イギリスに住んでいる友人から手紙が来たとしよう。自分はそれを読んで意味が分かるが、お母さんや弟はその意味がわからない。その2人に「ねぇねぇ、何て書いてあるの?」と尋ねられたら、あなたはきっと何が書いてあるかを伝えるだろう。これが翻訳の最も身近な例だ。仮にその時、英語の構造に忠実に訳したり、学校で学んだ関係詞の訳出テクニックを用いて言ったとしても、弟には理解できないだろう。むしろイギリスの友人が日本語だったらどのように書くだろうかと考えながら説明した方が、よっぽど分かりやすい説明ができる。




英語教育と翻訳。
大学に入った当初は全く繋がらなかった2つだが、次第に関係があるのではないかと考えるようになってきた。


英語教育の影響は大きい。翻訳者のかなりの部分、そして翻訳学習者の大部分は、「得意な英語を活かせる仕事」として翻訳に興味をもつようになったのだという。なぜ、英語が得意だと考えているかというと、たいていは学校で英語の成績が良かったからだ。なぜ、英語の成績が良かったかというと、よほどすぐれた英語教師に出会ったのでない限り、原語と訳語の一対一対応を素直に受け入れたからであり、英文和訳式の構文に疑問をもたなかったからだ。したがって、翻訳者のかなりの部分、翻訳学習者の大部分にとって、英文和訳調こそが自然なのである。意識して英文和訳調を拒否して「原文の意味を伝える翻訳」を目指さない限り、英文和訳調の方向に流れていく。(p.53)

英文和訳も試験では受験者の力を測る手段となるかもしれない。だが、もし本文の内容を英語が読めない人のために説明するとしたらどのように説明するだろうか、どういったら分かってもらえるだろうか、という発想で日本語を介した英文理解を行うこともあっても良いのではないかと思った。

本書では、翻訳者という職業の現状の厳しさや、翻訳の技術に関する考え方などが分かりやすく説明されている。さすが翻訳者といった分かりやすい言葉づかいで、ぜひ皆さんにも読んで頂きたい。

翻訳とは何か―職業としての翻訳
翻訳とは何か―職業としての翻訳山岡 洋一

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2013年5月8日水曜日

manavee合宿に参加して

ゴールデンウィークが終わりました。みなさんいかがお過ごしでしたか。

大学の友達と「今年はゴールデンじゃなかったね~」「ゴールデンっていうより、茶色とかおうど色みたいな一週間だったね」と話していました。(注:どちらも夏に採用試験等を控えていたので、カフェなどでお互いの勉強をしていました)。その後今年受験を控える高校3年生に「今年のゴールデンウィークどうだった?」と聞いたら「今年はグレーウィークだった。」といってました。笑
おうど色とグレーなら、グレーの方が「大変だったんだろーな」と思い、大学受験の厳しさを改めて実感した次第でございます。

今回はそんな大学受験に関する話題です!

先日、manaveeという団体の合宿に一部参加させていただきました。教育に熱意がある方ばかりで、多くの方と交流させていただきとても貴重な経験ができました。
今日は簡単にmanaveeという活動を(まだ自分も完全に理解しているとは言いがたいですが...)紹介したいと思います。




※自分の主観が交じっていますので、より客観的な説明をお求めの方はmanavee公式サイトへお越しください。


manavee公式サイト


大学受験を4年前に体験した身としてまず言えることが1つあります。それは、受験は情報戦だ!ということです。
過去問の情報量や分析結果、出題傾向に勉強法などは知っているか知らないかによって結果に影響があると思います。また、その情報は環境によってアクセシビリティが異なります。例えば経済的余裕のある家庭ならば、大学受験専門の塾に行って有名講師の授業を受けて対策をすることができ、多くの情報を得られます。その一方で余裕のない家庭では、必ずしも情報が同じように手に入るとはいえません。大学受験の結果がある程度将来に影響しうる現在、このような経済的、地理的格差は見過ごすことができません。

※予め断っておきますが、私は大学受験の結果のみを重要視すべきだとは考えておりません。良い大学に入ったからといってモチベーションも続かずにだらだら過ごすのと第二希望の学校で自分の目標を達成すべく努力するのとでは、後者の方が充実していると思います。しかし、大学の名前でその人の価値が先入観として決まってしまう現実があることも事実です。(先ほどの例で言えば、前者の学生の方が世間的には”優秀”と見られる機会が多いでしょう。)このような現実を踏まえた上で述べているので、読んでいて気分を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

そこでmanaveeでは、大学生が受験対策の授業をビデオで録画して、その授業を無料で見られる環境を提供します。受験生は自分の興味ある授業を選んでみることで、大学受験に必要な情報や知識、スキルなどを得たり磨いたりすることができます。

実際にサイトを見て頂くと分かって頂けると思うのですが、授業も分かりやすいものが多かったり、操作方法も丁寧なコメントで分かりやすかったりと創意工夫に満ちています。このmanaveeの運営や授業スタッフは主に大学生のボランティアによって行われています。東京大学の学生有志による立ち上げで、その後は全国のキャンバスへ活動が広がっているようです。

自分なりにこの活動の長所と短所(課題)を挙げると、

<長所>
・受験生が無料で勉強できる。
・実際に受験を体験した先輩からの授業なので説得力がある。
・授業を行うことで、授業スタッフの授業力も上がっていく。(教員志望者にとっては確かに魅力的です。)
・同じ分野でも多くの講師により授業が行われていることで、生徒が自分の好みの先生の授業を選ぶことができる。


<短所(課題)>
・授業の質を保証しきれない。
・仮に誤った授業内容があってもそれを完全に見つけきることができない。(ただし講師同士のフィードバックシステムは既にあります。)
・分野によってはまだカバーされていない部分もある。
・インターネットが使えない環境では利用できない。
・著作権の問題で授業が行えない分野もある。(現代文や英語長文問題対策など)
・講師と生徒のインタラクションがとりにくい(掲示板を使った交流は行えますが、授業最中のインタラクションが取れないという点はオンデマンド式授業の弱点だと思います。)

これらの点を踏まえた上で、個人的には素晴らしい活動のように思えます。まず、教育格差の活動として理念がはっきりしている点にあります。この活動は教育のタテマエ(公教育)における格差是正ではなく、公教育にカバーできないホンネ(受験)の次元での教育格差に特化しています。ホンネの次元での格差是正は、学習支援ボランティアなどがこれまでにはありましたが、インターネットを使った全国規模の活動は他にはないと思います。(もしあったらすいません><;)海外でもOpen Educationの流れは近年見られますが、日本の大学受験というコンテクストで実現したのも感銘を受けました。

また運営スタッフの皆様も上記の課題は把握されていて、会議を重ねて改善に向かっているそうです。(本当に熱意ある優秀な方々によって行われています!!

自分も大学4年生という立場で、できることは限られてくるかもしれませんが、力になれることはしたいなと思っています(^^)

<参考記事>
Open Educationの広がりについて
梅田望夫・飯吉透(2010)『ウェブで学ぶ ―オープンエデュケーションと知の革命』ちくま新書

2013年5月2日木曜日

ジュリー・バースティン「創造力を育む4つの教訓」





こんにちは。サバンナです。お久しぶりです。実に二か月ぶりの更新!!笑


今回はTEDの動画の紹介です。創造力をはぐくむための四つの教訓をジュリー・バースティンさんが教えてくれます。



創造力を育むということは私の大学生活の中でも大きなテーマであったように感じます。どうにかしてみんなと違うことをしよう、所属している学科の行事で今までになかったことをしたいという思いがありました。
 ジュリーさんは創造力を育むために「経験を受け入れる」、「課題を受け入れる」、「限界を受け入れる」、「喪失を受け入れる」という四つの教訓を提示してくれました。四つの中で特に共感できたのは一番目の経験を受け入れることです。このことについて少し自分のことを振りかえって見ます。


経験を受け入れる
 創造力をはぐぐむために経験を受け入れるということは、自分の解釈でいうと、アイデアの源を自分の経験に頼るということだと考えます。
 私が学科の行事などで企画(ゲームや出し物)を作るとき、それらの中に何か新しいものを取り入れようとするとき、私は今までの自分の体験を振り返っていました。インターネットで自分の知らないもの、新しいものを検索したりもしますが、いいものは見つからず、結局は自分の経験の中で使えそうなもの、アレンジすれば新しいものになるものを検索していました。特に映画というエンターテイメントにはお世話になっていました。ジャッキーチェンやスターウォーズなどは参考となるアイデアがたくさんあります(自分が好きなだけです笑)。
 創造力を高めるためには、日々いろんなことを経験する必要があるのではないかと思って、何でも手を出しそうになります。しかし私は、好きなもの、興味のあるものだけでいいのではないかと思います。なぜなら、嫌いなものや嫌々やっている活動というのはあまり記憶に残らないと思うからです。また、いやなことを継続するのはかなりしんどいことだと考えるからです。嫌いなことを経験だと思ってやることも必要ですが、それを創造力につなげるためにするのはよくはないなと今は思っています。
 


と、またまとまりのない文章を書きましたが、やっぱりTEDに出ている人のプレゼンは惹きつけられますね。17分もずっと動画を見るのって結構しんどいことだと思うけどなぁ。この動画からもいろいろパクろう笑。