2013年7月26日金曜日

菅原克也(2011)『英語と日本語のあいだ』(講談社現代新書):授業での使用言語は?

21日(日)に、JALT HIROSHIMAのConferenceに参加してきました。その振り返りはいずれ時間ができたら書くことにして・・・(いつ書けるかしら。笑)

JALTの帰り道に立ち寄った本屋でたまたま見つけたのが本書。『英語と日本語のあいだ』
帯に書かれていた「文法・訳読はほんとうに時代遅れか。英語の授業は英語で、で何が起きるか。コミュニケーション英語への疑問」を見て、その場で買うことに。近くのカフェで一気に読めました。


英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)
英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)菅原 克也

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本書は、英語教育専攻の学生や英語教師はもちろんですが、むしろ一般の方向けに書かれているという印象を受けました。なので理論的根拠や実践例などを求めている方には不向きかもしれません。しかし、「とりあえず英語の授業は英語でやらないといけないらしい」と感じている方、これから教育実習に行く後輩の皆さん、今の英語教育ではどのような動きがされているのか興味のある方。このような幅広い層に本書はあるのだと思います。

以下、本書の目次です。

第一章 日本語の環境で英語を学ぶこと
第二章 英語で英語を教えることの是非
第三章 読む力を鍛える
第四章 英語を日本語に訳すこと
第五章 翻訳と訳読-対応するもの・見合うもの
第六章 英語学習とコミュニケーション能力

前半(第一~三章)では、英語の授業を英語で、という母語使用を認めないような言い回しに対する反論が載せられています。背景知識がなくても理解できる易しい語り口になっています。

日本の英語教育では会話練習に終始して小手先の英会話ができるようになるよりも、文法や語彙を伸ばして英語使用の素地となる知識を蓄えて、読解を育成するべきという考えに基づいて菅原先生も書かれているのだと思います。私個人としても、この立場は一番自分の「英語教育観」に近いでしょう。但し、だからと言って文法・語彙のみで終わらせてしまっては、英語を「使える」ようにはなりません。文法・語彙をベースとしつつ、いかに技能の育成を入れるべきかという発想が必要となります。

特に本書では「読解」を推していますが、私はこれに加えて「書く」ことも重要かと思います。(両者は切り離せない関係にあるからで、おそらくこの点も菅原先生はお考えになっていることと思います。)

後半(第四章~六章)では訳を用いることに関する論考です。最初に訳読と翻訳の違いをはっきり示されているのが、本書に優れている点と思います。

訳読と翻訳は、はっきりとちがう。そのことをまずは言っておこう。同じtranslationでも、翻訳という行為と、訳読と言う作業はまったく別物である。おおまかに言ってしまえば、翻訳は目的となるが、訳読は手段でしかない。翻訳では、日本語できちんと理解できるテキストを作ること、そのことじたいが重要な課題となる。日本語だけを読んで、じゅうぶんな理解が得られなければ、翻訳の存在意義はない。一方、訳読は、英語学習のための手段にすぎない。英語を読む力がついて、いわゆる直読ちょっかいができるようになれば、訳読という作業は不要になる。訳文も、もとの英語の意味がわかるなら、日本語として多少ぎこちなくとも構わない。日本語の表現に凝る必要は、必ずしもない。(p.142)

訳読と翻訳の違いは昭和10年に『訳読と翻訳(注:旧字体)』で澤村寅二郎氏が訳読を"construing (p.1)"として、文法構造を明確化する手段と説明しています。
また、訳読の再定義は平賀優子氏の『「文法・訳読式教授法」の定義再考』(日本英語教育史研究 第20号)ではっきりとなされています。


ここまで多くの分類がなされていますが、誤解を恐れずに簡潔にまとめると…。

翻訳→訳だけを読んでも売り物になるくらい意味が分かるもの
訳読→言語学習の手段として文章を理解するために訳すもの

となると思います。

『英語と日本語のあいだ』に戻りますと、等価概念の紹介が続きます。

例えば、「こころ」という言葉は英語ではどのように言うのでしょうか。"heart"と言う人もいれば、"mind"という人もいるでしょう。しかし、これは一義的に決めることはできません。

日本語の「こころ」という言葉に、(一語のみで)完全に対応する英語の言葉は存在しない。「こころからお詫びします」といった表現にふくまれる「こころから」という慣用表現を、「こころ」にあたる英語の名詞を使って表現するのも難しい。『新和英大辞典』は、これを、
 I sincerely apologize.
  I am truely sorry.
  Please accept my deepest [most sincere] apologies.
と訳されている。ここには、mindもemotionもfeelingも表れていない。(pp.171-172)

ちなみに、『こころ』という夏目漱石の小説も英語版が出版されている。このタイトルは、ずばり”Kokoro"です。(そのままですが、これを下手にemotionやfeelingという訳語を当てなかった訳者の感性は素晴らしいと思います。)


Kokoro
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ちなみに、これと同じ原理で「identity」に当たる日本語はないし、「よろしく」にあたる英語もありません。(該当する訳語がないという話は、藤本(2009)『外国語学』(岩波書店)にも詳しく述べられていますので、興味のある方はお読みください。)

ここまで述べた上で、英語と日本語の「あいだ」に関して以下のように言及しています。

英語のテキストと日本語のテキストのあいだの対応を、みずから考え、工夫してゆくことは、英語という言葉についての認識を深めることにもつながる。英語と日本語のあいだを往復する中で、日本語の表現に対応する英語表現が見出されてゆく。同時に、英語と日本語のあいだで対応関係の見出しにくいものが、げんに存在することを意識するようになる。それは、英語という言葉の問題にとどまらない、英語をとりまく文化の領域に目を開くことにつながるであろう。(p.184)

高校学習指導要領の「授業は基本的に英語で行う」という文言に従うことは、無論必要のことと思います。また、これから教育実習に行く後輩の皆様には、「とりあえず英語でやってみる」ことを薦めたいです。たとえ母語の効用を認める論文もあり(Vivian Cook, 2001)、「英語は英語で」に反対意見を持つ方であっても、最低条件として英語の授業を英語で行う技能を教員が有しておくに越したことはありません。

むしろ英語で授業を行い、そこで疑問点が浮かんだのであれば本書であったり、ガイ・クックを一読いただきたいです。。英語教育で現在議論されている使用言語について深く考えるきっかけとなるでしょう。


英語教育と「訳」の効用
英語教育と「訳」の効用ガイ・クック 齋藤 兆史

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ただし冒頭でも述べた通り、本書は一般の方に(すなわち英語教育関係者以外の方も含めた全ての方に)向けて書かれていると思われます。もし本書を読んで物足りなければ、迷わずガイ・クックを薦めます。


それにしても、教育実習に行ってから早一年・・・。
月日が経つのは早いものですね。笑

教育実習に行かれる後輩の皆さん、ご健闘お祈りしてます(^^)




2013年7月21日日曜日

初等まとめ(2) ~社会科・知識の構造図~

最近は、小学校の授業づくりを初等コースの方々と行っています。普段中・高の授業をするときとは異なった新鮮さを味わっています。メンバーも熱心な方が集まっており、とても充実しています。特に児童の視点に立つという点が初等の方は上手だと思うので、自分も彼らから多くを学びつつ、逆に中等教員養成課程で学んだ自分も、出来る限り提供できるよう頑張りたいと思います。


授業作りの話し合いの中で、特に難しいと感じたのが社会科でした。これは、自分の知識や経験不足でもあるのですが、社会の授業はひたすら暗記というイメージが強かったためでもあります。しかし、社会科の指導要領には「暗記科目」のような文言は全く含まれていません。そこで、『社会科学力をつくる“知識の構造図”-“何が本質か”が見えてくる教材研究のヒント-』を読んで学んだことを、いかに記します。特に、英語科の方は「この発想は英語科では使えないか」という視点で読んで頂けたら幸いですし、自分からも一つの型として、最後に提案したいと思います。

 ※本記事における「社会科」は特に断りのない限り、「小学校社会科」を意味します。




■ 「社会科」とはどのような科目か


栗田哲也『数学による思考のレッスン』でも紹介されている通り、ある概念を理解するのに類似概念との差異を考えることは重要です。まずは「社会」を理解するために、同様に小学校で教えられる科目である「算数」や「国語」との比較を行います。

国語科や算数かは文字や数字、記号などを扱うことから用具系の教科と言われえている。これに対して、社会科は従来から内容教科だと言われてきた。(p.13)

例えば、国語科では「言語についての知識・理解・技能」や「話す・聞く能力」などの言葉が示すように、言葉という道具を用いて言語活動を行います。おそらく中等教育の英語科も、同様に用具系の教科と言えるでしょう。また、算数も「文字」や「記号」を習いますが、これらはあくまで諸問題を解決するための「手段」になります。用具系の教科では手段を児童に身につけさせるのに対し、社会科は内容そのものの習得を目指しています。したがって、その内容が何か分からなければ教えることも難しいはずであり、英語科とは本質的に異なっているとも言えます。また北氏は以下のように社会科を定義しています。

社会科は、おとなが営んでいる社会を対象に、「これまで」と「いま」の社会のことを学び、「これから」の社会を考えさせる教科である。(p.14)

「これまで」に関して考察する場合は歴史的視点を活用し、「いま」を考えるなら地理、経済、政治などの視点を使って、社会を学びます。そうすることで、社会的な見方(歴史的見方、地理的見方、政治的見方…)そのものの獲得に繋がり、「これから」の社会に関して、課題の解決、児童自身の意見表明などの学習へとつなげられます。


■ 調べ学習の落とし穴


社会科の学習指導要領には、「調べ」「考え」「表現する」という言葉がよく用いられます。PISAを契機に提唱された新しい学力観の一つである「思考力・判断力・表現力」に拠るのでしょう。現場では、調べ学習を通してこの3要素を育成する動きが強いようですが、北氏は以下のように警鐘を鳴らしています。

「自転車で好きなところに自由に行きなさい」と言ってみたところで、自転車に安全に乗ることができなければ、自転車を楽しむことはできない。事前に安全な乗り方や交通ルールを指導しておかなければならない。[...]調べ学習は確かに子どもの学習態度を主体的にさせるという面がある。しかしそこでは子ども一人一人の主体性を尊重するあまり、どの子どもにも習得させなければならない知識の抜け落ちが生じる心配がある。すでに扱い知っているはずのことが身についていないということは、多くの教師が体験している。このことは、問題解決的な学習や調べ学習の落とし穴であるといえる。(p.20)

自転車に乗るために交通ルールや乗り方を学ぶ必要があるのと同様に、調べ学習の前には調べ学習のやり方・基礎的な知識も必要になります。この前段階を飛ばしている場合は、基礎的な知識をクラス全員が共有できずに、学力低下に陥る危険もある。実際に本書でも、日本の面積・総人口・首都を知らない小学生が多いという問題が紹介されている(p.23)。見栄えの良い調べ学習を優先して、基礎知識を飛ばしてしまうという事実は、言語活動を重視するあまりパターンプラクティスや文法の軽視をする他教科を彷彿させる気がします。

■ 社会科で習得させる知識の分類


上では、知識の重要性が示されたが、その知識もいくつかに分類される。例えば、学習内容に関する知識と学習方法に関する知識という二項対立の構図を考える。社会の事象について知ることも重要ではあるが、生涯学習する態度を育成しようとしている今日、「どうやって学ぶか」という方法を知らせることも必要であろう。先の2つは、どちらも同じように大切である。

さらに内容に関する知識をさらに3段階に分けると「用語や語句」、「具体的な知識」、「概念的な知識」に分けられる。これらが知識の構造図の骨組みにもなります。

用語や語句とは、地図記号や県庁所在地のように、習得していないと「社会科の学習のなかで資料を調べても理解が深まらな(p.88)」かったり、「日常生活において支障をきたす(同頁)」知識を指します。誤解を承知で言えば、暗記させるべき用語がここに入ると思います。(従って、受験生が暗記カードでせっせと覚えているものは、全て「用語や語句」に入り、本来社会科で学ぶべき知識の一部となります。)用語や語句は、以下の具体的な知識、概念的な知識を学ぶのに必要な条件です。

具体的な知識は「調べて発見させる具体的な知識」(p.84)と言うことができる。例えば、「学校の北側には田んぼがある」や「学校の西側には川がある」は、調べることにより分かる知識です。これらは具体的であるが故、普遍性がありません。現にA学校の北側に田んぼがあるからといって、全ての学校の北側に田んぼがあるわけではありません。「頼朝は御恩と奉公の関係を用いた」も、室町時代には封建体制は倒れており、全時代に共通するものとは言えません。ところが、普遍的な知識を得るためには、小学生にとっては通るべき道なのです。

抽象的な知識は「社会的事象として目に見える状態のものではなく、目には見えないものである。調べたことを基に「どうしてだろうか」とか「どういう意味や役割をもっているのだろうか」などと考えることによって導き出される(p.76)。」例えば、先ほどの「
学校の北に田んぼ」「西に川」という具体的な知識をつなげれば、「田んぼの近くに川がある」という一段階昇華された知識になります。では、なぜ田んぼの近くに川があるのかと言うと、川から水を引くことで田んぼで稲を作ることができるからです。また、田んぼはなぜ川から水を引く必要があるかというと、生計のためにもできるだけ多くの米を収穫し出荷する役割を担っているからです。ここまでくると、ただ調べるだけでは分からない「抽象的な」知識になります。現に田んぼや川を見てるだけでは全ての児童がここまで考え付くとは限りません。(だからこそ、初めて協同学習が必要なのでしょう。)

バラバラに書いてしまいましたが、これを以下のピラミッドに直してみると考えやすいかと思います。

右の矢印にも示した通り、教師が教えるべき箇所と児童が発見すべき箇所を分けると、議論がしやすいように感じます。「都道府県の名前」や「地図記号の形」などは児童に考えて発見させるよりも、教師が提示する方が効率的だからです。(もちろん、地図記号の形を予想させるといった学習活動はありえますが。)


■ 知識の構造図


肝心の知識の構造図については、あまり述べてしまうと本書の内容を大幅に引用してしまうことになってしまうので控えます。簡潔に述べると、授業で学ばせるべき知識を上の3分類にかけて、その関係性を示したものとなります。
先ほどの例を用いて、一つ知識の構造図を作成してみたいと思います。

手順は以下の通りです。(p.80~90)

①小単元名と指導時数の設定
②小単元の目標の設定(学習指導要領と照らし合わせる)
③評価規準の設定
④教材観、児童観、指導観
⑤中心概念(概念的知識)の抽出
⑥中心概念を支える知識(具体的知識)を整理する
⑦具体的知識の順序性を考える
⑧具体的知識に必要な語句・用語レベルの知識をリストにする
⑨完成~!

このような知識の構造図を利用した取り組みは池野・金・福井(2012)「地域教材と知識の構造図を用いた社会科授業づくり. ― 小学校における社会科授業構成研究(1) 」があります。また、本書には多くの実例が掲載されているため、是非一度手にとって読んでみてください。


社会科学力をつくる“知識の構造図”―“何が本質か”が見えてくる教材研究のヒント
社会科学力をつくる“知識の構造図”―“何が本質か”が見えてくる教材研究のヒント北 俊夫

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■ 「知識の構造図」の英語科への応用


ここまで読んでいただき、英語科の方はどのように感じられましたでしょうか。
冒頭で述べたとおり技能重視の英語科と内容重視の社会科が根本的に異なるわけですが、私は知識の構造図もどきのようなものを英語科で活用する余地は十分に残されているのではないかと思います。

例えば、英語科では言語材料(文法や語彙など)を習い、それらを活用して言語活動(コミュニケーション活動)を行うという流れがあります。上で示唆した通り、見栄えの良いコミュニケーション活動が重視されすぎて、言語材料がおろそかになる可能性も否定できません。そこで、まずは何を教える必要があるのか、内容面で整理するためにも以下のような知識の構造図が活用できます。(もっとも、英語科の場合は技能面も強いので、「知識・技能の構造図」と呼ぶほうが適切かもしれません。)

では、中学二年生の不定詞の単元で、一度「知識・技能の構造図」を作ってみましょう。

(例)
①単元「自分の将来の夢に関するスピーチをしよう」
 時間:5時間
②目標
 ・スピーチの際、聞き手とアイコンタクトを取る。
 ・自分の将来の夢に関するスピーチをする。
 ・相手が話すスピーチの要点をメモを取りながら理解する。
 ・to不定詞の3用法の違いを理解する。
③評価規準
 ・スピーチの際、聞き手とアイコンタクトを取っている。
 ・自分の将来の夢に関するスピーチをすることができる。
 ・相手が話すスピーチの要点をメモを取りながら聞くことができる。
 ・to不定詞の3用法の違いを理解している。
④省略
⑤最終目標:3分程度の将来の夢についてのスピーチを行う。
⑥最終目標を達成するために必要な内容・技能
 ・不定詞を用いた文を作ることができる。
 ・スピーチに必要な表現を知る。
 ・スピーチを聞きながらメモを取って理解する。
 ・原稿を作成する。
 ・練習を行う。
⑦省略
⑧⑥を達成するために必要な知識・用語
 ・不定詞の名詞的用法/副詞的用法/形容詞的用法
 ・toの後には動詞の原形がくる
 ・イントロ・ボディ・コンクリュージョン
 ・Today, I'd like to talk about my dream.
 ・I want to be a ~.
 ・My dream is to be a ~.(以下略)

⑨知識・技能の構造図




このような作業は、指導案作成の際にほとんどの先生がされていることと思います。しかし、実習生として昨年作業をしていると、単元全体として本時は何をしなければならないか、目標は決まったが具体的にはどこまで教えるべきか、という点の議論が曖昧なことも多かったです。だからこそ、具体的な「用語・語句」まで書き出し、身につけさせるべき知識・技能の構造化を図ることは、英語科にも必要な作業のように思えました。

英語科は確かに技能教科としての側面が強いかもしれませんが、このような内容教科から学ぶことも多いのではないでしょうか。




2013年7月16日火曜日

「英語教育、迫り来る破綻」のまとめ&感想

7/14(日)に東京都郁文館夢学園で開催された「英語教育、迫り来る破綻」という講演会に参加してきました。

もともとは2013年4月8日に出された「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」が発端でした。「高校では全員がTOEFL iBT 45点以上を達成」「大学受験資格及び卒業要件としてTOEFL等の一定以上の成績を求める」といった文言に対して、英語教育の専門家たちが各々の分野から反対意見を唱え、その運動の一環として今回の講演会が開かれました。
詳しくは『英語教育、迫り来る破綻』をご覧ください。

英語教育、迫り来る破綻
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さて、今回の講演会で出された論点を、講演者毎にまとめたいと思います。(繰り返しになりますが、私の恣意的な解釈が含まれる可能性もあるため、是非上の本をお読みください。)

■ 江利川春雄先生「グローバル企業の無謀な英語教育要求から子どもを守るために」


・TOEFLという試験は、性質上もともと大学受験資格や卒業要件には向いていない。
 中高の学習指導要領では、あわせて3000語を6年間で学習すると定められています。しかしTOEFLでは一万語超も頻出のため、レベルが異なる。よって、ダブルスタンダードとなる恐れがある。
さらに、大学の今日の英語の授業がTOEIC対策となりつつある現在、高校でもTOEFL対策となることを予想するのも容易い。

・英語教師の採用条件にTOEFLiBT80点を求めるとあるが、教師の力量は英語力のみではない。
 「教師の力量=英語力+指導力+人間性」という式を出されていましたが、確かに英語に堪能であってもそれを生徒に教えられなければなりません。また昨今の教育現場は、生徒指導も大変重要です。(ある先生に「英語教育だけでなく、生徒指導も重要なんですね」と申したところ、「違う。生徒指導が重要なの。」と言われたこともあります。)従って英語力のみ重視して採用すれば、英語はできど指導ができない教師が増える可能性もあります。

・学校の職場は「蟹工船」
 英語教員の7割以上が過労死線上で、そもそもの教育条件の見直しが必要です。今年6月には教育予算増額も案として出されましたが、残念なことに見直しとなりました。クラス人数、教育環境(ICTなど)、専任教員増員などの観点から根本的な教育条件の改革が必要でしょう。

・協同学習を取り入れた授業改善のすすめ
 詳しくは、『協同学習を取り入れた英語授業のすすめ』に記されています。上の数値化を軸とした案に対する代案として江利川先生が出されたものです。

※以前、サバ君と話したのですが、協同学習は見栄えもあって流行ることが考えられます。しかし、教師がすべてを生徒に任せてしまっては、生徒の学びも起きにくいと思います。したがって、協同学習協同学習の「部分的」導入が最も現実的な気がしており、江利川先生もそのようにおっしゃっていました。


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■ 斉藤兆史先生「英語教育混乱のカラクリ」


・日本語が英語を学ぶのは、もともと困難
 「どうして日本人は英語を6年間も勉強しているのに、こんなに話せないんだ」という意見を多く聞きますが、その原因として斉藤先生は言語の構造上の違いや環境を挙げられています。もともと日本語と英語は構造上異なっており、EFL環境で英語を話さなくても不自由なく生活できる立場にいる私たちにとって、英語の習得は非常に困難です。ところが、英語ができない原因を「教え方が悪い!」と決めてかかれば、「文法規則は教えるな」「文字を使うな」「訳すな」という方向に進んでいきます。
 しかし、言語上の違いや環境を考慮することで、上のような短絡的な提案ではなく、より現実的な考えにたどり着きます。

・母語教育を充実させるべし
 寺島先生の『英語教育が亡びるとき』でも論じられていましたが、やはりEFL環境において母語は重要となります。(詳しくはVygotskyの「母語獲得」と「外国語習得」の違い参照のこと。)現に移民者が母語を習得しないまま外国語を習っても、学力が伸びないという例もあり、母語と外国語は論じるに当たって切り離せない関係にあるのだと感じました。

・英語が使えるようになりたかったら、ある程度まで自分で努力すべし
 一見根性論のようにも読めてしまいますが、学校教育のみで英語が話せるようにするのは非常に困難です。(もちろん英語教師としては、厳しい条件にある中でどのように技能を伸ばすかを考えるべきですが。)

 当たり前のことで、自ら努力しないではできるようにはなりません。そのためにも、英語を学びたいという人に対して支援をする環境整備こそ、英語ができる人を増やす方策だとおっしゃっていました。


■ 大津由紀雄先生「わたしが小学校英語教科化に反対する3つの理由」

・原理的理由:小学校英語、必要なし、益なし、害あり。よって廃すべし
・教育政策的理由:小学校の先生方をその気にさせ、総括もしないまま、教科化=専科化への方向転換
・現実的理由:21,000もの公立小学校で良質の入門的指導ができるはずがない。

 大津先生は小学校での英語教育に特化した話で、特に「小学校外国語活動≠英語教育」という点が印象に残りました。
外国語活動の原点とは、「英語に触れてコミュニケーションの重要性に気づく」であり、現に大学で受講している指導法の授業でも「どのように技能を伸ばすか」という点はあまり論じられていません。

 これが「教科化」するとなったとき、「単に外国語活動が英語科と名前が変わるだけか」と感じてしまいそうですが、そこには大きな変化が2点あります。1つは英語のみを外国語ととらえている点です。複合言語能力(plurilingualism)の議論(詳しくは鳥飼先生の項参照)という言葉もありますが、英語のみ学んだからといってグローバル的とは言えないはずです。外国語活動では、ほかの言語についても多く紹介されているのですが、果たして「英語科」となったとき、ほかの言語の入る部分が保障されているのかが疑問です。2つめに、「学級作り」「コミュニケーションの重要性に気づく」という点がぼやけて、技能面重視となりうる危険性があります。英語(外国語)という手段を通じて集団形成する、という外国語活動が、英語という手段そのものに傾倒するともいえます。このように、ただ授業名が変わるだけではないということが分かって頂けると思います。


■ 鳥飼玖美子先生「英語教育~慢性改革病とグローバル人材症候群に苦しむ」

・複合的言語能力(plurilingualism)の観点から、英語のみを扱う危険性
 グローバル人材育成推進会議によって出された「グローバル人材育成戦略」では、「語学力」をグローバル人材の一要素としています。

 しかし、TOEFL等をの外部試験の活用を推奨していることからも、「英語」を指していることはすぐ分かります。すると、国全体の方針で「英語」を外国語として一辺倒に扱うことになりますが、「グローバル」な時代であればむしろ多言語に関心を抱いていることがのぞましいはずです。
江利川先生も本書p.9で「英語ができればグローバル人材か」で論じている通り、中高の「外国語」という科目でも、英語以外を扱っているのは2012年度で1352校あります。この現状を無視して英語のみを推し進めるとも言えます。

 (フロアからの質疑応答で「英語教師こそ外国語を学び、英語以外の言語を学ぶよう生徒に薦めるべきだ」という意見がありました。これは自分も賛成で、現にドイツ語や中国語のような外国語を改めて学びなおすと、中学生に当たり前にやらせていることがどれほどしんどいことなのか分かります><)

■ 質疑応答

・翻訳について
 せっかく著名な翻訳家の方々がいらっしゃったこともあり、「翻訳が英語教育で果たす役割はどのようなものがあるか」という質問を出させて頂きました。すると斎藤先生から「訳すことが先入観によって否定されているが、英語と日本語を自由に行き来することも豊かな言語活動」「Grammar Translation Methodと日本式の訳読を区別するべき」といった話をして頂きました。これについては交流会でも鳥飼先生から、翻訳をいつどこで導入するかが鍵である、というご意見を頂きました。(お二方とも、著書を読んだことから、お会いできただけでも感激でした。しかも丁寧に話を聞いていただけて、とても嬉しかったです^^)

※Grammar Translation Methodと訳読の違い
Grammar Translation Methodは、もともとヨーロッパでラテン語を学ぶのに用いられた方法で、文法項目ごとに並べられた例文を訳して構造を理解するというものである。この際、文章としての意味のまとまりは考慮しない。
それに対して訳読は、自然な文章の意味を理解するために訳して理解するというもので、漢文学習の「素読から会読」という流れで生まれたものであった。
海外のジャーナルなどでGrammar Translation Methodを批判したとしても、その議論をそのまま日本の訳読式に対して適用するのではなく、Grammar Translation Methodのどこが批判されているかを考えるべき。
(追記)上記の説明は『英語教育と「訳」の効用』の訳者あとがきで詳しく説明されています。


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・文化の違い
 日本語と英語では言語が異なるのはもちろん、その言語特有の考え方も異なります。日本語というハイコンテクストな言語を日常的に使う私たちにとって、ローコンテクストな性質を持つ英語を学ぶことは、普段説明しなくて済むこともいちいち説明しなければならない、という必然性を体験するという意味でも有意義です。

 対談では、今の日本の人は説明を避けている傾向にあると鳥飼先生が指摘されていました。例えば、近所の留学生のゴミ出しがルールに従っていないのを見つけたとき、「これはこうするの」と説明することなく、「ほんと、これだからガイコクジンは…」と言う人がいるとします。この人も相手の立場に寄り添って、ゴミの出し方やその留学生の何が問題かを説明すれば良いのですが、普段は「ほら、言わなくても分かるでしょ?」の文化で過ごしているからか、説明することを億劫に感じ、自分の共同体とは異なる他者に対して説明をしない傾向もあるそうです。

 しかし、自分と「異」となる存在の相手を認めて、相手と協働することができる人がグローバルな人であって、そのような人を英語教育で育てなければならないのではないでしょうか。だからこそ、日本人は面倒に感じても、相手に説明をすることを怠らないようにすべきでしょう。


■ 感想

まずはミーハーな感想ですが(笑)、英語教育でこれだけ著名な方々の講演を1日で聞けて、とても嬉しかったです。特に交流会では、自分の研究である翻訳についての話も聞いていただけて、これからも頑張らなければ!と思いました^^

 本題の「英語教育、迫り来る破綻」は、正直言って自分のような勉強中の学部生の身分で論じられることではないのかもしれません。しかし、英語教育の「目的」というものがはっきりしていないことが、議論の錯綜となる1つの原因のように感じました。確かに学校教育法第一条では「人格の完成」「国家や社会の形成者」を掲げていますが、これのみでは英語科としてのはっきりとした方向性が定まりません。現に英語教育の歴史を振り返ると、平泉・渡辺論争(『英語教育大論争』)でも今回と似た議論はされていますし、ここも目的論にまつわる話題が何回もでてきます。国としての英語教育の方向付けが「技能重視」(ティーチングとしての英語教育)に傾いており、今回の講演会では「人間性重視」(エデュケーションとしての英語教育)であると仮にとらえれば、「「英語教育史学」原論のすすめ : 英語教育史研究の現状分析と今後の展開への提言」でも論じられている議論に似たものとなると思います。分かりやすい二項対立に書き換えると、英語ができる人か、英語を用いて人間を育てるのか。個人的には両方とも大事であると述べた上で、どちらかと言えば英語で人間としての成長を促すべきだと思います(これも抽象的な言い方になっていますね笑。)

 だからこそ英語がエリートのためのものになったり、自分の学力の証拠であったりという矮小化された存在として捉えられるのは悲しいな、と感じます。

 今回東京を訪れた帰りに、高校時代の友人と話をしました。彼も「教育の改革はもっと長期的に考えるべき!」と(酒を飲みながら)言っていました。
「長期的視点」には、「目的が何か」という議論を飛ばせないように感じます。
個々の英語教師が持つ目的はもちろん、英語教育界全体としての目的は何になるのでしょうか。


 ※友人のブログでも大学入試TOEFL導入に関する記事があります。論点がはっきりしており、読みやすいと思います(^^)ぜひご覧ください。

感性と英語と教育:受験資格としてのTOEFL導入に対する疑問

2013年7月5日金曜日

初等国語教育のまとめ(1) ~PISA型読解力育成の手立て~

英語教育に従事する者として、国語教育や日本語教育に目を向けることは大変重要だと感じます。これらは「言語教育」というカテゴリーに分類されており、共通部分も少なからずあるでしょう。
せっかくなので、小学校の国語教育に関するまとめを載せておきます。以前教員採用試験対策の勉強会で担当したこともあり、主にPISA型読解力育成の手立てを中心にしています。(テキストタイプは説明文。)



正確に言えば、OECD「生徒の学習到達度調査」(Programme for International Student Assessment:PISA)です。日本は2000年から参加しています。国語教育に最も関連があるのは、PISAが定義した「読解力」でしょう。

「読解力とは、自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力である。」

以前、教採勉強会で担当をさせて頂いた時に「PISA型読解力を養うために、あなたが英語教師としてできることは何ですか。」という問いを出しました。これに対する参加者の反応は以下のようなものがみられました。

・読むものを与えるだけではなく、自ら読みたいもの・読む必要のあるものを探させる。
・読書指導を行う。
・技能の統合を目指す。(例:読んだものについての批評を書かせる、読んだ文章の要約を書かせるなど)

英語教育では、第8次学習指導要領改正の際、「技能の統合」という言葉が注目され、上のような意見が出たのだと思います。私は、これらも国語教育に活かせるのではないかと思います。

PISA型読解力を育成するための手立てを上手くまとめたものとして、『国語化教育入門』(長谷川, 2010)があります。ここでは、「読むことの指導」を以下の4段階に分けて論じています。(p.97)

(1) テキストの中の「情報の取り出し」
(2) 書かれた情報から推論してテキストの意味を理解する「テキストの解釈」
(3) 書かれた情報を自らの知識や経験に関連付ける「熟考・評価」
(4) 記述・論述

(1)の「情報の取り出し」では、筆者が何を起こし(提起し)、どのように説き(説明し)、まとめているかを読み取らせます。発問の種類でいえば「事実発問」に分類され、語用論的に言えば文字通りの意味(literal meaning)の段階です。書かれている内容を忠実に読み取り、まとめる段階です。長谷川氏は「どのような説明文の読みも、内容を性格に読むことが基本です。」(p.96)と述べているように、この段階をとても重視しています。
PISA型読解力という言葉が持て囃されて、(2)~(4)が重視されれば、(1)が軽視される可能性もあるでしょう。そうすれば、「この文章は何を言っているかよく分かっていないのに、また自分の意見を書かされる」という児童が可哀想に思えます。

(2)は、筆者の説明の仕方や意図を読み取る段階です。特に指導要領では「事実と意見の関係」という部分が強調されているようで、これらを区別させることで「この人はどのような立場で文章を書いたのだろう」と考えさせることにもつながります。

(3)は、例えば「この○行目から○行目の説明はわかり易いか、分からないことはないか」という発問によってスタートします。すると児童は、読んでいてあやふやな部分や気になっていたこと、筆者の考えへの賛成・反対意見を交流することができます。(この具体例については、本書の「イルカの会話」が非常にわかり易いです。ぜひご一読下さい。)

(4)が、(3)で出た疑問点を解決する段階です。その手段は、他の文献にあたったり、インターネットで調べたり、分かりにくい箇所に加除訂正をしたりすることが考えられます。また、本書では述べられていませんが、読んだものについて感想を書くなどの活動もここに入るのだろうと思います。

(1)~(4)を振り返って、「まずは文章を忠実に読む」「その後、批判的に読む」「最後に、まとめる」といった段階が見て取れます。この指導では、教師の発問によって閉じられた読解指導となる危険が少なく、主体的に児童が課題を見つけようとする姿勢にさせることが利点です。その反面、学級の雰囲気によっては、話し合いがうまく行かずに内容の浅い議論となる危険性もあると思います。

改善方法として、以前JALTで報告された「Self-Directed Studyについて(JALTに参加して)」に乗せられているGererald Grow'sの考えも使えると思います。



Gerald Grow's Website
http://www.longleaf.net/ggrow/SSDL/Model.html



すなわち、段階に応じて少しずつ教師から児童へ主導権を渡していくという考え方です。まだクラスが上の指導をするのに十分な話し合いの雰囲気ができていなければ、教師主導の授業も必要でしょう。

最後に、本書から「説明文を読む学習」についてのまとめを引用させて頂きます。上で論じた内容を簡潔にまとめられています。

■ 説明文を読む学習
1、筆者は何をどう説明しているか
全体を読み通し、どんなことが書かれているか
・文字を読む(音読・黙読)
・語、文、段落などの理解
・内容の妥当性について確認

2、筆者の説明の仕方や意図は何か
・何がどのように書かれているか
・事柄(語句 文 全体 キーワード)
・構成(順序 段落 キーセンテンス)
・要点 段落相互の関係
・叙述(事実と意見 文末 事実の吟味)
・要旨
・調べながら読む
・説明方法…語の定義、接続語、文末、文体、図表、題名と事例などの理解

3、筆者の説明はわかりやすいか。筆者は何をどう説明すべきか。
・内容と表現を批評
・感想 批評
→論理…説明相互の論理関係
 呼応関係:問いと答え
 対比関係:時間的対比 空間的対比 内容的対比
 類比関係:事例と一般化 具体と抽象 上位概念と下位概念
 並列関係:空間的な順序 重要さの順序
 因果関係:原因と結果 理由と主張 時間的順序

国語科教育入門―小学校教員を目指すために
国語科教育入門―小学校教員を目指すために長谷川清之

明星大学出版部 2010-02
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2013年7月3日水曜日

栗田哲也(2013)『数学による思考のレッスン』(ちくま書房)



こんにちは。早いものでもう7月となりました。
最近学部控え室に行くと、教採直前の緊迫感が伝わってきます。
今年受験しない自分としては、この緊張感を良い意味で受け取りつつ、自分の「道」を進めたらと感じます。
(注:この頃、大学で受講している日本語表現法の授業で漱石の『こゝろ』を読み、とてもはまっています笑)

とりあえず、最近やり溜めていることを片っ端からやっていこうと思い、最初に着手したのが『数学による思考のレッスン』でした。

ゼミの先生から授業中に薦められたのがきっかけでしたが、読むにつれて文系の自分たち(特に教育学を専攻する者)が本書で言われている内容を知っておくべきと感じるようになりました。

現行学習指導要領では「思考力・判断力・表現力の育成」が確かな学力の要素として含まれています。しかし、自分は「思考」とは何かを丁寧に論じたことはありませんでした。本書は巷の啓発本とは異なり、「思考とは何か」「論理は必要か」といった問いに対して深く考察しています。

以下、本書から数箇所を引用ながら内容を簡単に紹介します。


■ 思考とは何か


本書では、思考を以下の3つに分類している。

(1) (幅広い)比喩的な解釈モデルを構築する思考
(2) 想像力で(より深い)説明の層を見出し分析結果を論理的に跡付ける思考
(3) (鋭い)アイデアを生み出す思考


(1) (幅広い)比喩的な解釈モデルを構築する思考

日常生活では私たちは論理的な思考をするよりも、このような思考をよく用います。


私たちはイソップ物語の「アリとキリギリス」「北風と太陽」のような枠組みで、いろいろな現実を見ていないだろうか?
そうした思考方法は、不平等を論じるときや、強力な相手をどうやって説得するかといった身近な問題解決の際に、モデルとしてすぐに意識されないだろうか?
たとえば「あいつはキリギリス(消費的享楽者)だったのだから、冬(老年期)になってお金に困っても助ける必要はない。公費で救ってしまったら一生懸命に働いていたアリに失礼ではないか」とか(以下略)(pp.46-47)

この例では童話が「モデル」となり、このモデルを拡張したり類推することで現実場面について考えてます。こうすることでただの客観的事実描写よりも、認識しやすくなります。

※参考※
アナロジーについては以下の動画が面白い。


特に、"Analogies happen all the time with no purposes."や"Repeated analogy expand concepts. All generalizations are made through an analogy"といった言葉は、本書にも通じる部分があると思います。また、「2000年前から来た人に対して"Wikipedia"を説明するとしたら?」という思考実験も、次項の「説明すること」に関連しています。


(2) 想像力で(より深い)説明の層を見出し分析結果を論理的に跡付ける思考

ここで初めて「形式的論理」が登場するのだが、ここでも論理は副次的な役割にとどまっていることに注意したい。

分析と言う地道な努力を積み重ねて得られた知識が蓄積されると、たとえばそれは元素の質量によって元素の性質が分類されると言う規則性が見出される(メンデレーエフの周期表というようなアイデアにつながるし、元素をさらに細かい単位(素粒子)に分割して、そこから統一的な説明を行うアイデアを生み出す。
そして、いったんアイデアが生まれると、論理はそのアイデアに沿って、数学の小売にあたるものを予想し、その「公理」から厳密な説明をすることができる。
こうして、説明の体系を作るのに、形式論理は大変に役に立つ。また、推論の際の誤謬を避けるためにも役に立つ。(pp.52-53)

つまり、分析によって得られたデータや知識からアイデアを生むのが先決であり、論理が登場するのはその後である。「論理的に考えなさい」という言葉がよくあるが、そもそも論理的に何を考えるかはアイデアによってまず見出されます。

論理が先行してよいアイデアが出るということはほとんどない。論理は思考をするための補助輪のようなものでしょう。

(3) (鋭い)アイデアを生み出す思考

これは、ひとえに言ってしまえば「思いつき」となるかもしれません。しかし、本書ではより深く考察をし、アイデアは誰にもほしいときに来るわけではないことを示唆しています。

例えば、数学の問題集を読んでいるとき、長ったらしく1つ1つ丁寧に説明していることが多いはずです。これを一行ずつ読んでも分かったようなそうでないような気分になりがちです。(少なくとも自分はそうです。)しかし、突然「そういうことか!」と全てを理解できることもあります。まるで、それまでは一行ずつ異質な数式だったのが、一本の線になるように。これが「アイデアを生み出す思考」に近い体験のようです。

つまり、認識は一瞬なのだが、その理解の過程は時間的だということだ。そしておそらく「わかる」とか「アイデアを思いつく」とかいうことは、時間的な現実が空間化されたときに起こる現象なのである。(p.056)

筆者はこれを「全体を鳥瞰する」という表現で何度も表しています。数学の解説であれば、一行ずつミクロな視点で見るのではなく、全体を俯瞰することでつながりを見出す様子のことです。

では、元に戻りましょう。「アイデアを生み出す思考」が「思いつき」とは異なるのはなぜでしょう。筆者は以下のように答えを出しています。

しかし、日ごろから深く考えていない人にいきなりひらめきの訪れる至福の瞬間はまずこない。[...]シンボルの体系は現実を映す鏡としては極めて不完全なために、人間が意識できる現実よりも意識していない現実の方がはるかに広大なのである。[..]しかし、アイデアに長けた人は、常に存在しないものを見つめているのである。(p.058)

日ごろから深く考えている人ならば、認識できるもののみを考えるのではなく、「もしこうだったら・・・」といった現実に縛られない思考が可能です。つまり、自分のシンボルの体系には存在しないものを「こういうものがあったらいいな」という視点で見ることで、「アイデア」は生み出されるのです。例えばニュートンの「引力」という考え方も、ニュートン自信が常日頃から考えて「引力っていう考え方があれば説明できるのに」という発想から得たものなのでしょう。


■ 他人に説明すること


他人に説明することの難しさについては、以前「受験英作文の問題文一行から<他者>について考えてみる」で論じたとおりです。異なる前提を持つ相手に対して、自分が目線を合わせる必要があります。この「目線を合わせる」というのが、説明の難しさかと思います。

意識化、言語化されずとも、明快にはいえないが気になっていること、もやもやしながらも何となく感じていることが各自にあるものだ。説明とは、そうした人たちの「世界」への言語化による働きかけなのである。多くの人が自分の経験に照らして、説明の枠組みが自分の世界と整合的で、もやもやしながらも感じていたことに明快な光をあてたと思えば、その説明は受けられる。逆に、その説明が自分の世界に照らして納得できないものであれば、人々は首を傾げるだろう。(p.203)

ここからも分かりますが、各々が自分の「世界」を持っています。この世界に受け入れられるように説明は行わなければなりません。以前、国立国語研究所の迫田先生が、プレゼンテーションをする時に一番重要なことは「聞く相手が誰かを考えること」とおっしゃっていました。迫田先生も上の引用と同じく、相手が持っている世界に受け入れられるような説明を心がけなさい、と意味されていたのだと思います。

先ほどの「2000年前から来た人に対して"Wikipedia"を説明するとしたら?」という思考実験に戻りましょう。相手に"Wikipedia"とは何かを説明することも可能です。(それこそWikipediaをWikipediaで調べたときの結果を読み上げれば良いかもしれません。)しかし、無論相手が持っている世界にはそのような概念はありません。
相手が受け入れやすいように、「何か言葉の意味が分からなければ、その意味を教えてくれるものです。」と言えば良いでしょうか。もしくは、「考えるな、見ろ!」と言いながら実際にWikipediaを操作してみましょうか。少なくとも、これらのようなやり方のほうが相手に受け入れられやすいのではないでしょうか。



■ 教育界への示唆


以下は、自分がはっと思わされた教育界への示唆です。数学教育については私は無知なので、教育全体に対する示唆のみを取り上げたいと思います。

・情報処理モデルを押し付けられると人間の想像力、ひいては自由は抑圧される。(p.023)
・かくして、現在の教育は「情報処理・思考力」型の勉強スタイルを、低学年のうちから行わせ訓練と刷り込みをあまりにも軽視するために、家庭で訓練が行われなかった子どもたちの思考力にはばかり知れないダメージが与えられてしまったと私は思う(p.243)

・この「世界」が各個人の中で形成されていく過程については私もよくわからない。ただ、推定できるのは、多くの場合、最初は訓練によって刷り込まれるものだろうということだ。[...]だから、おそらく最初に思考の基盤となるこの素朴な「世界」は、先人からの刷り込みで形成され、その豊穣さを決めるのは刷り込まれたモデルの量の多寡と、自分で開発したイメージの多寡である。(pp.186-187)

・一般的に言っても、基層の深い洞察を主体とすべきタイプの学問(社会学、教育学、経済学など)が、数学のような厳密性を持った「科学」を目指して、データを乱用するとき、こうした「いつまでたっても議論が①の段階以上に深まらない」危険性が生じる傾向が高いと思われる。(p.204)

(注)「①の段階」とは、素朴で直接的なデータを示すことですぐに分かる結論を持つ議論を指す。例えば、「ゆとり政策はこの手の議論は力強いという利点もあるが、単純になりがちという危険性も秘めている。

基礎の重要性については三田紀房(2009)『個性を捨てろ!型にはまれ!』(だいわ文庫)でも述べられています。興味のある方はご覧ください。
英語教育でも、見栄えの良いペアワークやグループワークが注目されているように思えます。しかし、その大前提となる反復・訓練が軽視されたとすれば、上のような批判に当てはまるかもしれません。


肝心の数学の部分については、あまり述べずに終わります。本書は例題を基に構成されているので、紙と鉛筆を用意して実際に解きながら読み進めると、理解しやすいです。
この7月がとにかく忙しい方も、ひと段落ついたらこのような本を読んでみるのもお勧めです(^^)

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