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2013年7月26日金曜日

菅原克也(2011)『英語と日本語のあいだ』(講談社現代新書):授業での使用言語は?

21日(日)に、JALT HIROSHIMAのConferenceに参加してきました。その振り返りはいずれ時間ができたら書くことにして・・・(いつ書けるかしら。笑)

JALTの帰り道に立ち寄った本屋でたまたま見つけたのが本書。『英語と日本語のあいだ』
帯に書かれていた「文法・訳読はほんとうに時代遅れか。英語の授業は英語で、で何が起きるか。コミュニケーション英語への疑問」を見て、その場で買うことに。近くのカフェで一気に読めました。


英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)
英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)菅原 克也

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本書は、英語教育専攻の学生や英語教師はもちろんですが、むしろ一般の方向けに書かれているという印象を受けました。なので理論的根拠や実践例などを求めている方には不向きかもしれません。しかし、「とりあえず英語の授業は英語でやらないといけないらしい」と感じている方、これから教育実習に行く後輩の皆さん、今の英語教育ではどのような動きがされているのか興味のある方。このような幅広い層に本書はあるのだと思います。

以下、本書の目次です。

第一章 日本語の環境で英語を学ぶこと
第二章 英語で英語を教えることの是非
第三章 読む力を鍛える
第四章 英語を日本語に訳すこと
第五章 翻訳と訳読-対応するもの・見合うもの
第六章 英語学習とコミュニケーション能力

前半(第一~三章)では、英語の授業を英語で、という母語使用を認めないような言い回しに対する反論が載せられています。背景知識がなくても理解できる易しい語り口になっています。

日本の英語教育では会話練習に終始して小手先の英会話ができるようになるよりも、文法や語彙を伸ばして英語使用の素地となる知識を蓄えて、読解を育成するべきという考えに基づいて菅原先生も書かれているのだと思います。私個人としても、この立場は一番自分の「英語教育観」に近いでしょう。但し、だからと言って文法・語彙のみで終わらせてしまっては、英語を「使える」ようにはなりません。文法・語彙をベースとしつつ、いかに技能の育成を入れるべきかという発想が必要となります。

特に本書では「読解」を推していますが、私はこれに加えて「書く」ことも重要かと思います。(両者は切り離せない関係にあるからで、おそらくこの点も菅原先生はお考えになっていることと思います。)

後半(第四章~六章)では訳を用いることに関する論考です。最初に訳読と翻訳の違いをはっきり示されているのが、本書に優れている点と思います。

訳読と翻訳は、はっきりとちがう。そのことをまずは言っておこう。同じtranslationでも、翻訳という行為と、訳読と言う作業はまったく別物である。おおまかに言ってしまえば、翻訳は目的となるが、訳読は手段でしかない。翻訳では、日本語できちんと理解できるテキストを作ること、そのことじたいが重要な課題となる。日本語だけを読んで、じゅうぶんな理解が得られなければ、翻訳の存在意義はない。一方、訳読は、英語学習のための手段にすぎない。英語を読む力がついて、いわゆる直読ちょっかいができるようになれば、訳読という作業は不要になる。訳文も、もとの英語の意味がわかるなら、日本語として多少ぎこちなくとも構わない。日本語の表現に凝る必要は、必ずしもない。(p.142)

訳読と翻訳の違いは昭和10年に『訳読と翻訳(注:旧字体)』で澤村寅二郎氏が訳読を"construing (p.1)"として、文法構造を明確化する手段と説明しています。
また、訳読の再定義は平賀優子氏の『「文法・訳読式教授法」の定義再考』(日本英語教育史研究 第20号)ではっきりとなされています。


ここまで多くの分類がなされていますが、誤解を恐れずに簡潔にまとめると…。

翻訳→訳だけを読んでも売り物になるくらい意味が分かるもの
訳読→言語学習の手段として文章を理解するために訳すもの

となると思います。

『英語と日本語のあいだ』に戻りますと、等価概念の紹介が続きます。

例えば、「こころ」という言葉は英語ではどのように言うのでしょうか。"heart"と言う人もいれば、"mind"という人もいるでしょう。しかし、これは一義的に決めることはできません。

日本語の「こころ」という言葉に、(一語のみで)完全に対応する英語の言葉は存在しない。「こころからお詫びします」といった表現にふくまれる「こころから」という慣用表現を、「こころ」にあたる英語の名詞を使って表現するのも難しい。『新和英大辞典』は、これを、
 I sincerely apologize.
  I am truely sorry.
  Please accept my deepest [most sincere] apologies.
と訳されている。ここには、mindもemotionもfeelingも表れていない。(pp.171-172)

ちなみに、『こころ』という夏目漱石の小説も英語版が出版されている。このタイトルは、ずばり”Kokoro"です。(そのままですが、これを下手にemotionやfeelingという訳語を当てなかった訳者の感性は素晴らしいと思います。)


Kokoro
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ちなみに、これと同じ原理で「identity」に当たる日本語はないし、「よろしく」にあたる英語もありません。(該当する訳語がないという話は、藤本(2009)『外国語学』(岩波書店)にも詳しく述べられていますので、興味のある方はお読みください。)

ここまで述べた上で、英語と日本語の「あいだ」に関して以下のように言及しています。

英語のテキストと日本語のテキストのあいだの対応を、みずから考え、工夫してゆくことは、英語という言葉についての認識を深めることにもつながる。英語と日本語のあいだを往復する中で、日本語の表現に対応する英語表現が見出されてゆく。同時に、英語と日本語のあいだで対応関係の見出しにくいものが、げんに存在することを意識するようになる。それは、英語という言葉の問題にとどまらない、英語をとりまく文化の領域に目を開くことにつながるであろう。(p.184)

高校学習指導要領の「授業は基本的に英語で行う」という文言に従うことは、無論必要のことと思います。また、これから教育実習に行く後輩の皆様には、「とりあえず英語でやってみる」ことを薦めたいです。たとえ母語の効用を認める論文もあり(Vivian Cook, 2001)、「英語は英語で」に反対意見を持つ方であっても、最低条件として英語の授業を英語で行う技能を教員が有しておくに越したことはありません。

むしろ英語で授業を行い、そこで疑問点が浮かんだのであれば本書であったり、ガイ・クックを一読いただきたいです。。英語教育で現在議論されている使用言語について深く考えるきっかけとなるでしょう。


英語教育と「訳」の効用
英語教育と「訳」の効用ガイ・クック 齋藤 兆史

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ただし冒頭でも述べた通り、本書は一般の方に(すなわち英語教育関係者以外の方も含めた全ての方に)向けて書かれていると思われます。もし本書を読んで物足りなければ、迷わずガイ・クックを薦めます。


それにしても、教育実習に行ってから早一年・・・。
月日が経つのは早いものですね。笑

教育実習に行かれる後輩の皆さん、ご健闘お祈りしてます(^^)




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