ページ

2013年10月23日水曜日

教員採用試験まとめ(前半)


こんにちは。Savaです。

いよいよこのブログのページビューも5000を超えました!!


Mochi君の記事のおかげですね。笑


 私、以前の記事で長い旅から帰ってきたと書きましたが、それは嘘で(オイっ!)、教員採用試験の勉強に集中していたから今まで更新していませんでした。今振り返ると、別に記事を書くくらいのゆとりはあったのかなと思いますが、いかんせん心配性ですので試験に集中していました。まあいいわけですね笑。これからはMochi君に負けないように更新したいなと思います。


さてさて今回は、タイトルの通り、私が受けた教員採用試験のまとめを書こうかなと思います。自分がおよそ半年間行ってきたことをまとめて、自分が何を学んだのか、試験を通してどのように成長することができたのかを考えたいなと思います。
前半は試験の内容と、どんな試験勉強をしてきたのかをまとめます。


教員採用試験

Savaの場合―

1.受験内容

校種:中学校 英語科
受験地:西日本のどこか(特定されると困るかもしれないと思ったので)


{一次試験}
一次試験では教職教養、一般教養、教科専門教養(筆記とスピーチ)、集団面接と集団討論がありました。
 二次試験では、小論文、個人面接と場面指導がありました。以下、ざっくりとそれぞれの試験内容を書いていきます。



・教職教養
 教育基本法や日本国憲法、学校教育法などの教育法規や教育史、中央教育審議会の答申などが穴埋め問題や記号選択問題として出題されました。



・一般教養
 中学校までの教科書レベルの問題や、時事問題が記号選択問題として出題されました。
 私の受験した自治体では理系の問題が難問でした。



・専門教養(筆記・スピーチ)
 筆記は学習指導要領の穴埋め問題、長文読解、定義をもとに単語を選ぶ問題などが出題されました。レベルとしては大学入試レベルくらいだと思います。


 スピーチはあるテーマについて一分間スピーチを行います。スピーチ後2分間で他の受験者と質疑応答を行います。スピーチのテーマは「私の夢」、「生徒に体験させたい国際交流」、「なめらかな中高接続のために」など3つほど提示され、その中から一つ選んでスピーチをしました。英語の表現力や理解力を見られるそうです。



・集団面接・集団討論
 集団討論は七人程度のグループでテーマについて15分間討論を行いました。
 私は「生徒の問題行動の背景と対応」というテーマで討論しました。


集団面接は挙手制で面接官の質問に答えました。
質問事項は「自分が教壇に立った時に足りないと思うこと」の一つでした。人数が多かったからだと思います。




{二次試験}
・小論文
 教育に関するテーマに対して1200字(60分間)で小論文を書きました。


・個人面接・場面指導
 個人面接は主に自己アピール書(事前に提出してあるもの)から聞かれました。
 

 場面指導は、ある学校の指導場面に関して面接官とロールプレイをしました。
 私は「最近教室に飴などのごみが落ちているのが目立ちます。多くの生徒に聞くとほとんどがA君のものだと証言しています。あなたはA君とクラス全体にどう指導しますか。」という題で行いました。







2.それぞれの勉強法と反省
 それぞれの科目に対し、どんな方法で対策したか、また、その反省をここでまとめます。

教職教養(教育原理、教育心理、日本教育史、西洋教育史、教育法規、教育時事)
 教職教養はオープンセサミという教材を使って、試験に必要な知識を蓄えていきました。三月末から勉強を始めたのですが、まずは、一通り穴埋め問題を記入して、一日数ページずつ覚えていくという感じて進めていきました。この作業が終わったのが五月の中ごろだったと思います。もちろん、一回で覚えきれるわけはないので、一日一回は教材を広げて、覚えていきました。その後は、昨年の各県の過去問を解き、知識が定着しているか、抜け落ちている知識がないか確かめました。
 また、教育時事として出題される中央教育審議会答申に関しては、教採を受ける友達と勉強会を週一回のペースで開いて、基本的知識の確認やディスカッションを行い、深めていきました。
 教職教養の勉強はそれなりに効率よくできたのではないかと思います。大切なのは過去問を通して自治体の傾向を知り、出題されそうな部分を徹底的に覚えていくことだと感じました。また、暗記中心になりがちですが、教育用語などのwhyhowを考えると(なぜそんな答申が出されたのか等)、自分の中に残る(採用試験以外にも役立つ)知識になっていくのではないかなぁと思います。



・一般教養
 一般教養もまずはオープンセサミを使って、知識を蓄えていきました。一般教養はいろんな問題が出され、出題の幅が広かったので暗記ものの歴史や地理は捨てました(オイ笑)。ここら辺は自治体の過去問を解いて、あまり出ない分野は勉強しないなどしたほうがいいのかなと思います(歴史や地理の問題は出題されたけど(笑))。一通り解き終わったら、これも各県の問題を解いて演習に励みました。
 一般教養の勉強は範囲が広すぎて、どれだけやってもきりがないのでそれなりに割り切って取り組んだほうがいいのかなと今では思います。過去問を解いて傾向をつかみ、出されそうなところを予想して覚えていくことが大切だと思います。頑張って取り組んだつもりでしたが、一般教養は半分くらいわかりませんでした(多肢選択問題だったので、どれだけミリオネアの時の新庄になりたかったか(笑))。



専門教養(筆記・スピーチ)
 筆記試験の勉強は英検やTOEICの単語帳で語彙を増やし、過去問に取り組みました。長文が出題されたので、大学入試のための問題集を解いて長文に慣れていきました。
 スピーチは、教採を受ける友達と一緒に大学のネイティブの先生にお願いしてディスカッションの練習をしました。週ごとにいろんなテーマでディスカッションをして、ネイティブの先生にフィードバックをもらうという形で進めていきました。
 私の場合、語彙の増強とスピーチの練習が専門教養の勉強でした。勉強を始める前と比べると、少しは語彙が増えたかなという感じです。



・面接・集団討論
 面接や集団討論は教採を受ける友達と五月中旬くらいから週一回程度で練習しました。聞かれそうな問題をあらかじめリストアップし、自分なりの答えを事前にまとめ、実際に集まって面接をしてみるという形で進んでいきました。試験が近づくと二日に一回以上くらいのペースでしていました。
 集団面接・集団討論は仲間がいないと練習できないので、友達がいてよかったなと思います笑。
面接で大切なのは、先生っぽくふるまうこと(抽象的ですが、姿勢や声の大きさ、元気の良さなどのことです)と、簡潔に答えることではないかと練習を通じて感じました。面接官が何を見たいかということを考えると、結局は「先生になれそうかどうか」じゃないかと思うからです。
集団討論で大切なのは、自分ならこうするという具体的な案をもつ(べき論で終わらない)ことだと感じました。本番で、他の受験生は「学校(教師)は~であるべき」で終わっていることがほとんどでした。私は「(その理想に向かって)私は~ということを実践していく」ということを言ったので、もしかしたらそれが他者の違いを生み出せたのではないかなと振り返ってみると思います。また、先生っぽくふるまうこと(ここではアイコンタクトをとる、周りの意見を尊重するなどのことです)も大切だなぁと思いました。まあそりゃあ、教員採用試験ですからね(笑)。でも忘れてはいけないことだと思います。




{二次試験}
・小論文
 小論文も、教採に小論文がある友達と一緒に勉強会を開いて練習しました。週一回程度あるテーマに関して小論文を書いてきて、回し読みしながら添削していきました。最初は小論文の参考書に載っているような一般的なテーマに取り組み、その後受験する自治体の過去問に取り組み、数をこなしていきました。二次試験の一か月前くらいから一日一つ小論文を書いて、質と書くスピードを高めていきました。
 小論文の勉強は、教採の中でも一番しんどかったです。日ごろから文章を書いてないツケが回ってきました。このブログでちゃんと記事書こう(笑)。数をこなしていけばだんだんと書き方がわかり、自分のスタイルを作ることができました。また、友達に見てもらったことで、自分では気づけない部分に気づいていくことができました。自分ではわかると思っても、案外読み手にはうまく伝わらないことが多かったです。この記事もそうかもしれません笑。


・場面指導
 場面指導も面接や小論文と同様に、教採で場面指導がある仲間と一緒に取り組みました。あるテーマについてロールプレイ→みんなでどうすればいいか検討するという流れで練習していきました。
 一次試験の後(七月末)から対策を始めたので、少し勉強不足だったかなと思います。実際に本番でもテンパってしまったので、もう少し早く始めればよかったなぁと後悔しています。また、本番では相手(試験官)が予想以上にいろいろ言ってくるので、練習の質、量ともに足りなかったと反省しています。




.その他教採のためにしたこと
 課される試験ごとの対策以外にも、教採の役に立つかなと思って以下のことをしました。振り返ってみると、間接的ですが、それぞれ役にたったかのではないかなと感じます。


・雑誌を読む
 私は教職課程という、教採のための月刊誌を大学の図書館で読みました。面接のコツや小論文の書き方、教育時事など教採に関するヒントや情報があるので、勉強に疲れたら休憩がてらに読んでいました。
 教採の勉強を始める前などは、何を勉強したらいいかよくわからなかったので、この雑誌を読んで教採の概観をつかんでいました。いい本です!!!(一冊しか買わなかったけど笑)


・読書する
 勉強に疲れたり、やる気が出なかったりしたときは読書をしていました。教育系の本や教職専門に関するもの、まったく関係ない本などを読んで、リフレッシュになりました。一番面白かったのは羽生善治さんの「直感力」という本です。Mochi君みたいに書評を書きたいですね。


・適度な運動
 太らないため、また、健康でいるためにも運動は適度にしていました。週末に野球好きの友達とキャッチボールをするのが日課でした。おかげさまでスライダーチェンジアップが投げられるようになりました。これからの課題はコントロールです。


・ググる
 インターネットを利用して、教採の情報が落ちてないかを調べたり、気になった言葉を検索して遊んだりしていました。特に、教育史に出てくる人物などはwikipediaに詳しく経歴や性格がのっていて、面白かったです。もちろんインターネットなので、情報をうのみにしないということには気を付けました。




4.前半まとめ

 ここまで、教採の試験のためにしてきたことをまとめてきました。ざっくりですが、案外いろいろなことをしてきたなぁと感じます。およそ半年間取り組んできたことですから、振り返りを行えたのは良かったです。
 後半では、試験までの道のり、教員採用試験を通して成長したなと思うことをまとめていきたいと思います。

 読みづらい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は少しは記事が読みやすくなるように努力します。



Sava


2013年10月17日木曜日

千住淳(2013)『社会脳とは何か』新潮新書

脳科学では最近、「社会脳」というのが大きな話題になっているようです。卒業論文のテーマ選びの際、自分が「心の理論」について調べていたら、指導教員の先生から社会脳に関する書籍をお貸し頂きました。

それ以来、テーマ変更で翻訳論を勉強してきましたが、今でも社会脳や心の理論は興味ある分野であり、ちょうど本書が最近刊行されたので、手にとって見ました。


社会脳とは何か (新潮新書)
社会脳とは何か (新潮新書)千住 淳

新潮社 2013-08-10
売り上げランキング : 35373


Amazonで詳しく見る by G-Tools

『社会脳とは何か』というタイトルですが、本書では以下の2点が主に述べられていたと思います。

1. 社会脳研究のこれまで
2. 研究者としての姿勢

タイトルから推測して、社会脳入門のような内容かと思っていましたが、どちらかと言えば、社会脳に関して著者が研究された実績についてがまとめられています。(もちろん社会脳の解説も最初にまとめられていますが。)
著者自身は自閉症児や赤ちゃんの社会性の発達などを主に研究されており、それらの紹介を通して社会脳に関する現在の研究の最先端を伺える構成になっています。
もちろん研究内容も面白かったですが、私はむしろ、研究者としてはこうあるべき、といった研究観の部分を非常に興味深く読ませて頂きました。

簡単ですが、以下にまとめを載せます。今回は特に、自分が「へぇ~」と思ったことを中心にしています。


1. 社会脳研究のこれまで


社会的な機能が脳に分化していることを進化論の立場から説明するために立てられた社会脳仮説において、社会脳は初めて登場します。たとえば人間関係を把握したり、他者から学んだりといった社会的な活動は、得意な人、苦手な人がいます。また、自閉症で他者意識を持つのが難しいと思う人もいます。このような変種を説明するのに、脳の中の「社会脳」という場所を仮定して研究していきます。社会脳は、生理学者のレスリー・ブラザーズが顔や他人の動きに反応する脳の部分をまとめてSocial Brainと名づけたことから研究対象となります。

筆者が紹介されている自身の研究を紹介すると、思いっきりネタバレになってしまうので、ここからは自分が「へぇ~」と思った「人の目」に関する部分を紹介していくことにします。

人には白目と黒目の部分がありますが、実は白目を持つのは人間のみのようです。確かにサルとかも黒目だけですね。ちなみに、小学生が描いている絵の中には、白目を持つネコなどもいますが、あれも厳密にはおかしいわけです(って、厳密すぎますね笑)。

では、なぜ人にだけ白目があるのか。以前参加した未来授業でも、このような話題が出ました。その時長沼先生は、目線を伝えるためだ、とおっしゃいました。人の場合は誰を見ているか、というのもコミュニケーション上非常に重要だから、白目が発達したのではないか、というもので、本書もこの立場を示しています(もちろん、「はっきりとはわかっていません(p.100)という留保はついています)。

確かに目線によってウソを発見するというドラマも昔見た覚えがありますし、NLPにもそのような手法があります。『こころ』の解説本にも、視線という観点から解釈した『「こころ」大人になれなかった先生』がありました。これらも、人間に白目があるからこそ生まれたのですね。


『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)
『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)石原 千秋

みすず書房 2005-07-09
売り上げランキング : 210453


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本書では、文化間による目線のとらえ方の違いなどの研究が紹介されています。他にも、自閉症児の推論課題なども紹介されております。このような研究にご興味があれば、一読することを奨めます。



2. 研究者としての姿勢


千住氏は研究における研究者間の協力の重要性を説いているように感じました。たとえば、「巨人の肩にのって(p.188)」というニュートンの言葉が紹介されています。巨人とは、自分の研究領域においてこれまでに研究を積みかさねてきた先輩の研究者(あるいは先行研究)を指します。自分が新たに学問領域を構築するわけでなければ、それまでに近似したテーマを研究した論文を一通り読むことになります。そうすることで、何が分かっているかを理解し、「それならば、これからはこれだけすればよい」と余裕を持つことができます。

以下の言葉は自分にとって特に響いた言葉なので、そのまま引用させていただきたく存じます。

それぞれの研究はまだ“わかっていない”ことを調べるものですので、リスク(不確実性)がつきものです。そこで、1つの研究に山をかけるのではなく、リスクを分散しながら複数の研究を行うポートフォリオ管理が必要になってきます。1つの成功した実験の背後には、いくつもの失敗した、うまく行かなかった実験が存在します。(p.216)

ゼミの先生は「論文はおいしいところだけ見せなさい」とよくおっしゃいます。つまり、自分が研究したこと、調べたことを全て紹介するのではなく、相手に伝えたいこととそのために必要なことだけを厳選して華やかな舞台の上で演出をし、それ以外は全て舞台裏に押し込めておくわけです。

研究は、天才があるとき突然ひらめいて生まれるものではなく、地味で目立たない数多くの研究(者)が長い時間を掛けて積み上がることにより、その延長線上にじわじわと生まれてくるものなのです。(p.217)

自分も謙虚な気持ちで引き続き卒業研究頑張らないと、と思います。(あれを「研究」と呼んでも良いのか?という疑問はおいておきましょう笑。)



2013年10月7日月曜日

翻訳概論: Juliane House(2009) "Translation"(Oxford)を読む(1): Chapter 1-2



大学ではいくつかの勉強会に参加させていただいており、自分の知識の浅さや読書経験のなさに毎回あきれさせられます。しかし、自分の知らなかったことを教えてもらえたり、逆に自分があいまいに知っていた(つもりであった)ことを、説明することで、より自分の知識を疑うことができたりしています。

中でも特に役に立っていると思うのが、博士課程後期の先輩と学部の友人と自分の計3人で開催している翻訳学読書会です。参加者それぞれが翻訳学と英語教育に関する研究を行っているため、各自の研究の進行具合を伝え合ったり、テクストに書いてある内容を批判的に検討したりしています。翻訳学を大学の授業で学ぶ機会がほとんどなかったので、自分としては大変満足しています。

前期はJeremy Mundayの"Introducing Translation Study"の翻訳版である『翻訳学入門』、夏休みは『英語教育と「訳」の効用』を扱ってきました。


翻訳学入門
翻訳学入門ジェレミー・マンデイ 鳥飼玖美子

みすず書房 2009-05-23
売り上げランキング : 132563


Amazonで詳しく見る by G-Tools

英語教育と「訳」の効用
英語教育と「訳」の効用ガイ・クック 齋藤 兆史

研究社 2012-04-19
売り上げランキング : 109316


Amazonで詳しく見る by G-Tools

そして10月からはOxfordのIntroduction to Language Study SeriesのJuliane House (2009) "Translation"(Oxford)を読み進めています。上の「翻訳学入門」よりは初心者向けといった印象で、英語としても読みやすいものになっています。


Translation (Oxford Introduction to Language Study)
Translation (Oxford Introduction to Language Study)Juliane House H. G. Widdowson

Oxford Univ Pr (Sd) 2009-07-15
売り上げランキング : 11016


Amazonで詳しく見る by G-Tools


これまで勉強会などの資料や、研究基礎ノートなどはブログでは出しませんでしたが、翻訳学を勉強される方と共有できたり、翻訳学を研究されている方からご指摘・ご批判を頂戴できたりするという理由で、一部掲載したいと思います。

勉強会で出た話題や疑問点、ディスカッションで出た自分たちの考えなども掲載できる範囲で掲載したく考えています。

なお、以下では英語の原文の引用を必要な部分のみ行っております。読みやすさを考慮して、一部拙訳で補っています。自分の訳についてもご批判があればお願いします。

今回は初回(9/30)のChapter 1-2についてまとめを掲載します。翻訳とは何か、翻訳学は対象言語学のような多領域とどのように違うのか、といった点が説明されています。自分の乱暴な引用・訳・説明で恐縮です。興味をお持ちの方は、ぜひ本書を用いてご自身でご確認ください。繰り返しになりますが、お気づきの点はぜひご指摘お願いします。


Chapter 1: What is translation?


The nature of translation

Translation is the replacement of an original text with another text. (p.3.)
Translation has been regarded at a kind of inferior substitute for the real thing, […] it is always therefore a secondary communication (p.3.)
翻訳とは原典を他のテキストに置き換えることである。
翻訳は本物を劣った形で置き換えたものとして見なされてきた。それゆえいままでは二次的なコミュニケーションであった。 
ここでの見方は、翻訳は原典に劣る存在であり、つねに副次的という意味です。確かに、訳本が読みにくいもの(いくつかの哲学書など)は、「だめだ、翻訳が悪くて読めない」と言い訳をすることもあります(本当は自分の読解力がないだけなのですが笑)。そうすると、英語版があれば「よし、原書を読もう」となるわけです。これこそ、翻訳が二次的存在であることを示す例でしょう。

Kinds of translation

Jacobsonによる3分類 (p.4.)
(1) interlingual translation : the message in the source language text is rendered as a target text in a different language 
(2) intralingual translation : a process whereby a text in one variety of the language is reworded into another. 
(3) intersemiotic translation : the replacement involves not another language but another, non-linguistic, means of expression, in other words a different semiotic system.
(1)は言語間翻訳で、ある言語から別の言語へ置き換えられることを指す。ハリーポッターの英日翻訳、原爆体験者の手記の英訳などが挙げられる。ここでは「翻訳」「英文解釈」の区別はなされておらず、以前指摘したこれらの区別はさらに(1)の下位でなされるものと考えられる。ちなみに本書でのtranslationは原則、interlingual translationを指している。
(2)は言語内翻訳と訳され、同じ言語内での言い換えを指す。たとえば、 古英語の文章を現代語に書き換える、日本語訳の哲学探究をさらに大阪弁で言い換えるといったことが考えられる。
(3)は記号間翻訳で、別の表現様式によって内容を表すことである。 詩をダンスや絵などの別の表現形式に変換する、小説の映画化などが考えられる。

これら三者は、翻訳といっても異なるものとして分類される。しかし全て、「ある表現内容を別の形で表す、という点で共通している。

Translation Method

■ 翻訳を行うときは、要素を単位とするのではなく、テクスト全体を単位とする。
We are concerned with particular communicative uses of language, and not with linguistics forms as such. A text is never just a sum of its parts, and when words and sentences are used in communication, they combine to ‘make meaning’ in different ways. (pp.4-5)
最近翻訳ボランティアに参加させていただいています。和英翻訳をしていると、原文が「私はとにかくいらいらしていた」を”I was irritated."としたとき、「とにかく」の意味が訳されていないではないか、と 指摘されたことを思い返します。しかし、「とにかく」のニュアンスがこの文の中で表さなければならないということはありません。テクスト全体が単位なのだから、文章全体における「等価」を目指せばよいです。

■ 言語間翻訳では、完全な一致は期待できない。したがって翻訳者がどのような意図でその表現を用いたかに我々の興味がある。
We are not particularly interested in the fact that a ‘direct’ translation is not available because of differences in the two linguistic systems. Further, we will want to know how and whether a particular translation choice […] affects other translation decisions. (p.5.)

■ double-bind relationship
In translation there is thus both an orientation backwards to the message of the source text and an orientation forwards towards how similar texts are written in the target languages. (p.7.)
これについては、以下で図にまとめました。一回目に読んだときには読み飛ばしていたのですが、再度読み返すと翻訳をする時に自分が経験するものだと気づきました。




たとえば、被爆者の手記を英語に翻訳するとしたとき、翻訳者は以下の2点に配慮します。
・原文テクスト(被爆者の手記)
・英語で原爆に関連する話はどのような表現が用いられるか、スタイルはどのようなものがいいか、など

このうち前者がbackwardへの矢印で、後者はforwardへの矢印と言えます。


■ 2つのテクストが等価であるとは?
In saying that two texts, an original and its translation, are equivalent, we mean that – given their respective contexts – they are comparable in semantic and pragmatic meaning. (p.7.)
ある2つのテクスト(原文テクストと翻訳テクスト)が全く同じであるということはありえません。「翻訳者は反逆者」という言葉もあるとおり、テクストを別の言語に置き換えれば、抜け落ちてしまう要素、新たに付け加わってしまう要素が必ずでてきます。そんな中で"semantic and pragmatic meaning"が等しいときに、両者は「等価」と言えます。
したがって、意味のみが正確であったとしても、文章の効果などが原典なみであったとしても、両者を追求することが必要となります。
Translation and Interpreting

■ 翻訳と通訳の違い
The distinction between translation (writing) and interpreting(oral) is a necessary one  they are very different activities. In written translation, neither author of source texts nor addressees of target texts are usually present so no overt interaction or direct feedback can take place. In the interpreting situation, on the other hand, both author and addresses are usually present, and interaction and feedback may occur.  (p.9.)
以前、大学で「通訳法演習」という授業をとっていました。授業では先生が読む英文を聞いて、リピーティング&日本語訳を言う練習を何度もしました。半年間受講しての感想は、通訳は本当に頭の良い人にしか無理なんだな、ということです(自分がそぐわないことは重々承知w)もちろん語彙力やリスニング力は必要ですが、即座にぴたりとくる日本語表現を頭の中から引き出せなければならないわけです。
両者の区別は、日常生活では意識して区別をすることがあまりないかもしれません。しかし、研究対象となると、両者の特色は知っておくべきかと思います。


Human and machine translation

■ 機械翻訳によって人間翻訳に役に立つことは以下の3点である。
(1) インターネット辞書にアクセスすることで語彙面、語の慣習的共生から文法面などで役に立つ。
(2) 目標言語で熟語的に用いられる表現を調べて取り出せる。
(3) 辞書的知識を得ることができる。

機械による翻訳が広まり、徐々に精度を上げているようです。しかし、機械翻訳が日常言語使用に追いつくことは果たしてあるのでしょうか。実際に英語授業では「機械翻訳により訳されたものを学習者が推敲する」という実践も行われているそうです。このように機械と人間が手を組んで翻訳に取り組む方法を模索することが必要なのでしょう。

Translation as communication across cultures
Translating is not only a linguistic act, it is also a cultural one, an act of communication across cultures.
Language is culturally embedded. (p.11)
翻訳は言語的行為のみならず、文化的行為、文化間コミュニケーションの行為でもある。
言語は文化に埋め込まれている。 
言語と文化の関係は切っても切り離せないという言葉がありますが、翻訳をする際にも文化差というものは必ずついて回ります。例えば、イギリスの魔法使いを主人公とする物語(?)では、やたらと紅茶を飲むシーンがあります。これも私たちにはいまいちピンときませんが、イギリスではティータイムは文化的にとても広まっています。
このような点まで翻訳者は気をつけなければならないのですね・・・(^^;)



Chapter 2: Some perspectives on translation

Focus on the original text

■ Contrastive linguisticsとTranslation Studiesの違い
While contrastive linguists are interested in equivalences of linguistic categories within and across languages, translation scholars focus on equivalence in texts, in actual use of the languages and their component parts in communicative situations. (p.15)
対象言語学では同じ言語、あるいは他の言語との言語項目における等価に興味がもたれていた のに対して、翻訳学者たちは文章における、つまり実際の言語使用やコミュニケーション場面での言語の占める部分に主眼を置いている。

しかし、翻訳学は対象言語学の知見から多くを受け入れている

Some approaches to language description

翻訳学は言語記述という観点からのアプローチを採用してきた。大きくFormal approachesとFunctional theories of languageの2つに分けられる。前者は生成文法や認知言語学などが含められる。残念ながら、これらの領域では翻訳学はあまり効果がなかった。その原因は前項に述べたが、翻訳学が他の言語学の領域ほど、言語にこだわりがなかったためであろう。それに対してHallidayらがすすめたシステム機能文法のような後者のアプローチは社会でのコミュニケーション場面における言語使用に重点を置いた点が評価されている。

以下に、2名の言語学者を紹介する。彼らは翻訳学へ大きな影響を与えている。

■ Catford “A Linguistic Theory of Translation”
Meaning is not assumed to be ‘transferred’ from an original to its translation; rather it can only be replaced, so that it functions in a comparable way in its new contextual and textual environment. (p.17)
While the idea of transference suggests that there is meaning contained within the original text which is taken out and given a different verbal expression, replacement suggests that the meaning is a function of the relationship between text and context, and so can only be replaced by in some way replicating the relationship. (p.17)
※用語の説明
formal correspondence: a matter of the language system (langue)
textual equivalence: a matter of the realization of that system (parole)

例えば and (Eng.)とund(Ger.)は意味はほとんど同じで用法も同じだからformal correspondenceで、textual equivalenceを持つことが多い。しかし、翻訳のシフト(translation shift)を行う必要があることもある。(以下の通り。)

例)英語→ドイツ語翻訳
(英)He was hanging up his coat when the bell rang
(独)Er hing gerade seinen Mantel auf, als es klingelte.(p.18)

英語では進行相はwas –ingという文法相によって表現される。しかしドイツ語では文法相にはformal correspondenceする文法相が存在しない。したがって、textual equivalenceに達するためにも、語彙相のgerade(~ている)を用いる必要がある。本来英語では文法相を用いていたのにドイツ語で語彙相を用いているから、この翻訳においては翻訳のズレ(Translation shift)が行われているといえる。(ここらへんもドイツ語を知っていれば、もっとすんなり理解できるのですが・・・自分はドイツ語初習者のため、なんとなくの理解で終わってしまっています。泣)


■ Nida: sociolinguistic theory of translation
In Nida’s view, translation is first and foremost directed towards its recipients. He therefore takes account of the differences between source text and target text recipients in terms of their expectation norms and their knowledge of the world.
Nida sees translation as basically an adaptation of an original (the Bible) to widely differing linguistic-cultural conventions. (p.18)


さて、性懲りもなく、Nidaの手法を以下の図に表して見ました。





Analysisの段階では、深層構造(kernel sentences)を単位として翻訳が行われる。


■ 対象言語学と比較した際の翻訳学の特徴
Translation is about what people mean by the language pragmatically. In the context of translation, a focus on the (original) text means analyzing it, and systematically linking its forms and functions in order to reveal the original author’s motivated choices. (p.19)

Focus on the process of the interpretation
個人的な興味で、本章の中で最も面白いと思いました。少し長いですが、訳しました。
The texts is thus not regarded as having a life of its own, but can only be brought to life by the process of interpretation. It starts to live in the act of text interpretation. In ‘receiving’ an original text, the translator engages in a cyclical learning process – from the text to the interpretation to the text and back again. This cycle finally leads to a so-called ‘melting of horizons’ between the translating person and the text. (p.20)
(試訳)
テクストはしたがって生命が宿っているのではなく、解釈の過程で命が吹き込まれる。テクスト解釈という行為の中で命を持ち始めるのだ。原典テクストを「受け取る」中で、翻訳者はテクストから解釈へ、解釈からテクストへ、という循環的な学習過程をたどる。この循環によって、最終的には翻訳している人とテクストの境界線が解けていく。

cf) ミハイル・バフチンの「間テクスト性」概念もしっかり勉強したわけではないが、関連しているように感じる。(ただし間テクスト性は色々な意味合いで使用されているらしい。)

ここから、Nidaの述べた「テキストの意味の置き換え」といった考えは、検討されなおすべきだろう。
it is the type of representation of the text in the translator’s mind, arising in the act of understanding the original, which counts in translation.
It is thus not a matter of finding the sense contained in a text and then adjusting it to suit a receptor (as suggested by Nida), but of making sense of a text by interpretation. We are dealing here more with invention than discovery of what is already there in the text. (p.20)


Focus on variable interpretations: cultural, ideological, literary

この項も、一回目を通しただけではよくわかりませんでした。
しかし、他の翻訳概説書を読んでいたり、翻訳の練習(まねごと?)をしていると、「あ、これのことか!」と思う点もありました。
少し長いですが、3箇所引用し、それぞれに自分なりの訳をつけてみました。
分かりづらいところは、さらに意訳(大胆な言い換え)をしてみました。

・there is no reality independent of how human beings perceive it through their culturally tinted glasses. […] it becomes possible to think of an original text as being dependent on its translation. (p.21)
人間が自身の文化的に定められためがねを通して知覚することから独立した現実は存在しない。したがって原典はつねに翻訳に依存していると考えることもできる。

・it is the way texts are perceived that is real and not the text themselves. (p.22)
テキスト自体ではなく、どのようにテキストが読まれるかこそが現実である。
この文は、次のthe irrelevance and remaking of the originalの部分や、先ほどの間テクスト性の概念に関係してくるところです。
・translators are encouraged to modify the original, opening up new avenues for ‘difference’ and postponing indefinitely any possibility that the ‘meaning’ of the original text be grasped in any conclusive way. (p.22) 
(直訳)
翻訳者は原典を修正することは奨励されており、そうすることで「差異」への新たな通路を拓き、原典がどのような読み方であっても「意味」がとれるという漠然とした可能性は後回しにする。
少し分かりづらいので、大胆な意訳をしてみました。
(意訳)
翻訳者が原典を修正することは非難されることではない。それによって「違い」に対する寛容性を生み出し、原典の本来持つ「意味」をとれるようにするという点は二の次となる。
しかし、原作を修正する際には、やはり慎重になるべきでしょう。内容がガラッと変ってしまったりメッセージが伝わらなかったりしたら、それこそ「反逆者」と見なされてしまいます。


The irrelevance and remaking of the original
・the translator actually creates the original text. This is in line with ‘deconstructing’ both the notions of authorship and the authority of the original. (p.21) 
翻訳者は実際には原典を作り上げているのである。これは、著作者の意見と原典の権威を共に「脱構築」することに等しい。 
最初はこの文を読んでも意味が分かりませんでした。「翻訳者が原典を作る?」「だつこうちく?」しかし、次の文を読めば少し意味が分かるような気がします。
・although a translation may seek to hide the presence of the original, it can nevertheless serve to ensure its survival to make it ‘live on’ and ‘live beyond the means of the original author’, just as a mother lives on through her child. […] The translator gives life to the original by giving it a cultural relevance it would not otherwise have. (p.22) 
翻訳は原作の存在を隠そうとするかもしれないが、翻訳はその中で原作を生き残らせ、原著者という手段を超えても確かに生き残らせる。ちょうど母親が子どもの中でも行き続けるように。[…]翻訳者は本来持ち得なかった文化的関連性を与えることで原作に生命を与えるのである。
翻訳は原典テキストの二次的存在という見方では、翻訳者が原典を作るという文の意味は分かりづらいはずです。しかし、文章の意味は解釈をするものによって生み出されるのであれば、やはり原典の意味を作り出すのも翻訳者なわけです。さらに、翻訳では意味を目標言語にて再構成することで、新たな意味(文化的関連性)を付与します。
ここまで読むことで、Chapter 1の"secondary communication"という考えの脆さがわかる気がします。


いや、君みたいな翻訳かじりたての若造に何が分かる?という声が聞こえてきそうですが(笑)。


(※)
そもそも英語原作を他言語に翻訳することは、英語が世界の言語として認められている今日では、英語の権力を上げる行為として見なされないでしょうか。翻訳によってこのような側面が生まれることは、翻訳を研究する者としては知っておくべきだろうと思います。


Focus on the purpose of translation

skopos theory: フェルメールによって述べられた。翻訳の目的を重視する立場。



Translation (Oxford Introduction to Language Study)
Translation (Oxford Introduction to Language Study)Juliane House H. G. Widdowson

Oxford Univ Pr (Sd) 2009-07-15
売り上げランキング : 11016


Amazonで詳しく見る by G-Tools


さて、そろそろ焼きそばを作るので、これくらいで終わりにしましょう。
今週2回目の焼きそばです。

それにしても、この前小学生に「先生の得意料理は何?」と聞かれて焼きそばと答えたら笑われたな・・・(笑)。
焼きそばは料理に入るか入らないか・・・。
どうして入らないのでしょうか。
あんなに美味しいのにw

というつぶやきはさておき。
またまとめたら載せます。

こんな拙文、最後まで読んでいただき大変ありがとうございました。