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2014年3月19日水曜日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』 集英社新書

こんにちは。新しく当ブログに参加させていただくことになりました。Ninsoraです。
今まではこちらのブログで記事を書いておりましたが、今回吸収してもらえることになりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、少し前に読んだ本について紹介いたします。

フェルメール 静けさの謎を解く (集英社新書)
フェルメール 静けさの謎を解く (集英社新書)藤田令伊

集英社 2011-12-21
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フェルメールは、17世紀に活動したオランダの画家です。「牛乳を注ぐ女」や「真珠の耳飾 の少女」などの彼の代表作を一見すれば分かるように、彼は静寂に満ちた日常風景を、やわらかい光の描写とともに表現しました。そのため、彼は「静謐の画 家」や「光の画家」と揶揄されることも。

なぜ彼の絵画はこれほどまでに静寂に包まれているのであろうか。

本書は、そのような問題提起から出発し、その謎を読み解いていこうとするものです。
絵の具や構図、色彩心理学など、様々な観点から分析がなされており、とても面白かったので、今回は、その中で特に面白いと思った項目をいくつか紹介しようと思います。

1. フェルメールブルー

フェルメールは青の発色が特徴的で、その青は「フェルメールブルー」とも呼ばれます。第1章は、「青」という色彩の持つ静けさや、それに繋がる超越性という観点から、フェルメールブルーをについて解き明かそうとする内容でした。

フェルメールは、その色の性質を直感的に理解し、次第にそれを際立たせる方法を研究していったようで、究極的には使用する色を少なくすることで「青」を引き立たせてていたそうです。

フェルメールの代表作の一つとして知られる「青衣の女」という作品ですが、先に挙げた二つの代表作同様、そこには静けさが漂い、ずっと見ていられるほどに落ち着いた作品となっています。
実はこの作品、青を引き立てるために、茶、白、青の三色の絵の具のみを使用して描かれているらしいのです!
確かに、言われてみれば他の色は見当たらない。
すごい・・・の一言。そもそも、たった三色でこんなすごい絵が描けるものなのか、という驚きがありました。
これを計算して上で、きちんと作品を完成させてしまうところに、フェルメールのすごさを改めて感じますね。(ある程度上手くなれば簡単なのかもしれないけど・・・)

青衣の女 (1663-1664)

2. 描かない

フェルメールは、「描かない」ということでも静けさを演出したそうです。作品を見ても、わざとカーテンを大きく描き、見える面積を狭くしたり、モデルをアップで描くことで描かれる背景を少なくしたりと、様々な工夫を凝らしていることがよく分かります。
最も有名な作品である「真珠の耳飾の少女」を見ても、少女が大きく描かれているため、そもそも背景をほとんど描く必要がないことが分かります。それに加えて、背景は黒く塗りつぶされており、余計なモチーフは一切描かれていません。
この作品に、もし背景があったらどう感じたのでしょうか。これほどまでに、この作品の持つ静けさは表現されていたでしょうか。「あえて描かない」ということがフェルメール作品の静寂に大きく貢献していることは間違いないでしょう。

真珠の耳飾の少女 (1665)

ま た、「描かない」ということには、もう一つ大きな意味があるそうです。通常、画中に登場する「物体」には、本来何らかの意味が含有されます。例えば、絵画 の中に十字架でも描こうものなら、宗教色が一気に強くなりますし、コウモリを描けば、何かしらの不吉さが暗示されているような気になるでしょう。

本 書では、「窓辺で手紙を読む女」が例として紹介されています。当初は、背景に「キューピッドの画中画」が描かれる予定だったそうですが、フェルメールは製 作途中でこれを塗りつぶし、白色の壁にしてしまいました。もし画中画を残していたら、「この手紙は恋文である」という意味が含意されてしまうからです。

そうなれば、この女性と相手の男性の間の様々なストーリーが、この絵画の背景にあることになってしまいます。そのような雑多な意味や推測が、結果として作品の静謐さを消し去ってしまうことになります。
窓辺で手紙を読む女 (1657-1659)

フェルメールは、「描かない」ことで、視覚的な静けさを表現すると同時に、雑多なストーリーを排除し、意味的な静けさも追求したことが伺えます。

3. 光の描き方

フェルメール以外にも、「光の画家」と呼ばれる人物は存在しています。「夜警」で有名なレンブラントがその一人です。しかしながら、「静謐の画家」と呼ばれるのはフェルメールただ一人。彼らの光の描き方の違いが、その印象の違いを生み出しているのでしょう。では、なぜフェルメールの光の描き方は「静か」な印象を受けるのでしょうか。

一番分かりやすい違いは、レンブラントの光が、闇とのコントラストで強く描かれるのに対して、フェルメールの光は全体的にボワッ~っと明るく描かれていることだろうと思われます。フェルメールの絵には、光によるコントラストが少ないのです。

筆者は、フェルメールのアトリエが面している方角から差し込む光や、オランダ特有の「水に濾過された柔らかい光」、マウンダー極小期による当時の太陽光の弱まりが、その「淡く霞んだ光」を生み出したのではないかと推測しています。

一見突拍子も無い推測のように思えますが、描かれた当時の気候条件と絵画の作風の関係は実際に研究されている内容らしく、フェルメールの「静けさ」との関連も実際は大きいのかもしれません。ほかの画家の作品も、気候条件によって何かしらの変化があるのでしょうか。

気になります!!

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一つ意外だったのは、フェルメールの作品の「静寂」は、ピーク以降、失われていってしまったらしいということです。何があって静けさを手放したのか、ということはもちろんですが、なぜフェルメールが一時期だけ静けさを追求したのかということも、調べたらすごく面白いのかもしれないです。

・・・絵画って知れば知るほど面白い!!


※おまけ

確かに、キューピッドがいるとウザい。


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