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2014年6月22日日曜日

英語教育と創作活動



創作活動というのは、英語教育ではあまり縁がないのかもしれません。しかし、自己表出・自己変容を伴う創作活動を媒介としたコミュニケーションも、英語と絡めて行うことができないでしょうか。最近の自分の経験、大学院で受けている初等国語の授業、今日参加してきた中国地区英語教育学会、といったところで感じたことを頼りに、以下3点でまとめてみることとします。


(1) 語りによる自己解放・吐き出すための語り

一つ目に、語りによる自己解放が上げられます。先日の石戸先生の記事や、やまだようこさんの「喪失の語り」などでたびたび言及してきましたが、私たちは「語る」という行為によって自己解放することができるのだと最近強く思います。



学部の頃に観た英語授業のビデオで、中学3年生が中学校生活の思い出や将来の夢について英語でスピーチをしながら、自分の気持ちが抑えきれなくなって涙してしまうという場面がありました。これも、自分のカタルシスを英語という媒体によって表出することで、「自分はこれだけ中学生活に思い出があった」「もうすぐ目の前の友達と別れるのだ」ということを実感したために泣いたのだと思いました。私たちはそのような思いを直接語ることに、しばしば抵抗を感じます。しかし、英語という日常生活で用いない言語のおかげで、しばしば言いにくいことが言いやすくなるのではないでしょうか。


あるいは、「語り」は自己浄化作用があるのかもしれません。たとえば、千と千尋の神隠しに登場するカオナシというキャラクターがいます。カオナシは欲望を軸にコミュニケーションすることで、多くの不純物を体内に摂取します(暴飲暴食の結果)。また自分が気に入らない相手を丸呑みしてしまい、彼らを自分に「取り込んで」しまいます。そこで千がカオナシと対峙するときに、河の神様からもらった苦団子を食べさせます。するとカオナシは、自分がこれまで溜めてきたものを全て吐き出します。カエルまで全て吐き出したカオナシは、もとのカオナシになり、千とともに銭婆の元へ向かうこととなり、自分が自分でいられる場所を見つけるのでした。

カオナシの例は「語り」という例としては不適切かもしれませんが、吐き出すという行為の重要性は示してくれるように思えます。英語が先ほど述べたように日常使うことばではないため、吐き出すためには便利なことばなのかもしれません。




(2) 物語という虚構内でのストーリー作成

大前提として、物語は虚構世界です。だから、起き得ないことなど虚構世界にはありませんし、思ったこと全てを出しても良いのだと思います。

私は学習塾で中学2年生の英語の授業を担当していますが、そこで Andy and Jimmy という教材を扱いました。内容としては、猫のAndyがねずみのJimmy を食べようと捕まえたら、Jimmyが「自分の家族にさよならを言わせて」と言いますが、Jimmyの家族は100匹以上いるため、AndyはJimmyを待っていることができずに諦めて帰ってしまいます。

授業ではこの文章を1ヶ月かけて内容理解・文法解説・音読・朗読してきました。現在は時間を測って音読する練習をしている段階で、もうじき朗読的な指導をしようと計画しています。先日、「Andy and Jimmy という作品の another story を作れ」という課題を出しました。最初は戸惑っていた彼らでしたが、次の週には色とりどりの個性的な(なかには残酷なw)作品が出揃いました。

彼らが書いてくれた文章を読み返して思うのは、ストーリー作成というのは、自分の内的世界で行う作業であるということです。今日求められる外的世界でのコミュニケーション活動とは、一見つながりがないように見えますが、合理的な生活を求めるほど私たちが虚構世界やフィクションを欲することは、経験的にも私は納得できます。ストーリー作成のタスクは、自分の内的世界から紡がれることばを英語で表す活動といえないでしょうか。

→ストーリーテリングの活動は、協働学習の方法論として取り上げられるのを見聞きしてきましたが、上で述べた理由から、個人で行うストーリーテリングもアリではないか、という気もします。(もちろん思いつかない子が多い、という問題もありますね...。)




(3) こだわりを持った翻訳 (creative translation)

最後に、こだわりを持った翻訳を、しれっと追加しておきます(笑)。

翻訳過程において、訳者がこだわりを表すことができるのは以下の5点です。

・言語間の言い換え(このときはあまり解釈を介しませんが、少なくとも訳者の経験が反映されます。)
・原文の中からどの要素を訳そうとするか選ぶ作業
・原文から読み取ったイメージに、自分で付け加えをする
・イメージを、目的に応じて訳先言語で表す
・新しい言葉を創って、イメージを表す

上の分類は、Kussmaul (2000) Types of creative translating という論文のまとめで、さらにこれを自分なりに図示したのが下になります。









翻訳も創造である、という点をこの論文から改めて学びました。この「こだわり」は文法や語彙の選択という点に現れるかもしれませんし、原文を読んだときの自分の世界観が反映されるかもしれません。訳がただの言語変換作業のみならず、それぞれの個性が表れるものとみなされれば、お互い比べてみたり発表しあったりする協働学習も可能となるかもしれませんね。







と、いきおいに任せて書いてみましたが、最後に述べるべきは以下の点ですね。


英語教育の目標は、コミュニケーション能力を養うことである!


上のような活動を提案してみましたが、これらが4技能のいずれかの能力の伸長に関わることはやはり必要だと思いますし、ただのパフォーマンスをするだけなら英語授業で扱う必要はないと思います。

ただ、英語に対して本当に拒否反応を示す生徒さんや、高校に行くことを考えておらず英語学習の必要性を感じていない子も、創作活動としての英語には興味を示してくれるのではないか、と感じます。

今回は、「創作活動」とか「感性」といった、自分の苦手分野(笑)で記事を書いているので、あまり筋が通っていないところが多いかと存じます。よろしければ皆さんのご意見も教えて頂ければ幸いです。


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