2015年4月27日月曜日

佐川光晴 (2012) 『おかえり、Mr. バットマン』河出書房新社



このブログではこれまで新書を中心に紹介してきましたが、今回ひょんなことからとても面白い小説に出会いました。小説の紹介をしたことはありませんが、挑戦してみたいと思います。

来月に学部生の前で翻訳論の話しをさせて頂く機会があり、その準備の一環で手に取ったのですが、これがめっぽう面白かったです!翻訳家が主人公なので、翻訳家の仕事の裏側や悩みなどが主人公やキャラクターの台詞を通して伝わってくるのも面白かったですし、ストーリーにもどんどん引き込まれました。(特に今の自分には訴えかけるものがあったのかもしれません。笑)個人的に、英語を学んでいる高校生にも読んでもらいたい、そんな本です。

自分の関心から、まとめは翻訳論に関する部分が大きくなってしまいました。ですが、何度も言った通り作品としても面白く、あっという間に読めました。ぜひ興味がある方は読んでみてください。


おかえり、Mr.バットマン
おかえり、Mr.バットマン佐川 光晴

河出書房新社 2012-04-12
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■ あらすじ

翻訳家の山名順一は今年で48歳。妻の遼子は英語の教師で、忙しさから家事も子育ても順一に任せきり。次第に夫婦の仲は冷えきっていく。息子の順平が大学に合格して家を出てから、順一は遼子とろくに会話もせずに翻訳の仕事をしていた。そんな順一に、ひょんなことから仕事が舞い降り、冷え固まった山名家に新たな風が吹き込む・・・。

■ 本作品を読んだ感想

本作で山名順一の語りを借りて登場する翻訳論はもちろん面白かったのであとで紹介することにして、私は純粋に物語としても楽しんだ。特に、本作品が順一の寂しさ・喪失感を扱っているにもかかわらず、物語の根底には温かさが流れている。言い換えるなら、山名家の家庭の冷え冷えした感じと、主人公を取り巻くキャラクターとのリズミカルな会話、そして主人公や作家たちの翻訳・創作への熱意が感じられる、そんな作品のように感じた。

物語は現在の視点と回想が組み合わされており、少しずつ順一の家庭の過去が明らかになっていき、順一の語りと本音のずれのようなものが徐々に浮かび上がってくる。そんな順一の前に現れる若い美女のアガサ、翻訳仲間の田中、既に亡くなったが順一の敬愛する作家のフィリップ、・・・。彼らとの対話から順一の本音が浮かび上がっていく。

物語後半は急展開で、ある種突き放された感じを受けるかもしれない。しかし、決して居心地の悪い感じではなく、きちんと、読み終わった後に満足感を与えてくれる。そういった作品である。



■ 翻訳家=コウモリ

作中で翻訳を職業とする山名の翻訳観が面白く感じた。エッセンスの部分のみ引用。

そうした状況でも、山名順一は翻訳の醍醐味を味わっていた。まずは原作を注意深く読みながら小説の世界に入っていく。ところどころ日本語に置き換えつつ、英語で読み進めていくうちに物語が体の隅々にまでしみとおり、やがて英文と並行しておぼろげな日本語訳が頭にあらわれてくる。かたやアルファベット、かたや漢字・ひらがな・カタカナの三週混淆と、文字もちがえば文法もちがう二つの言葉が頭の中で響き合う。自分がどちらの言語で読書をしているのかが曖昧になって、英語からも日本語からも解き放たれながら、同時に英語と日本語の両方を味わい尽くしているような感覚がつづく。
山名はその状態を「こうもりの愉楽」と呼んでいた。こうもりが鳥と獣の性質を併せ持つように、翻訳家は母語と外国語のどちらにも通じている。つまり、翻訳家はこうもりであり、こうもりにはこうもりにしかわからない喜びがあるのだ。 (p.36)

イソップ童話では、こうもりは鳥と獣のいずれにも取り入ろうとする卑怯者として描かれている。しかし、間違っているのは鳥や獣のほうではないのか。こうもりは鳥であり、獣でもある生きものとして、自分なりに宙を舞っているにすぎない。それなのに、鳥なのか獣なのかはっきりしろと二者択一を迫ってくるから、こうもりはその場しのぎを承知で相手に合わせて返答をした。それを卑怯と決め付けるのは、言いがかりもいいところだ。翻訳家はこうもりとして、一つの言葉だけに囚われている連中には不可能な動きで、広い世界を飛び回る。 (p.37)


この引用箇所のほとんどは、野崎『翻訳教育』のあとがきにも紹介されていた。(私が本作品を知るきっかけになったのもこの本である。)

よく日本人が英語を学ぶとき、「1対1の関係から離れろ」といわれることもある。しかし、いきなりそのような芸当ができれば苦労はない。私が初学者としてドイツ語を学ぶときも、まずは1対1の関係から入らざるを得ない。しかし、その時点では日本語と英語のどちらかの世界に縛られており、ある意味がんじがらめになっている状態なのかもしれない。

それがいつしか、両言語間をコウモリのように飛び回り、自分が一方の言語で読み取った世界をもう一方の言語で伝えなおすことができる。そのような存在が翻訳家であり、学校で解く「英文和訳」と大きくかけ離れた仕事である。

すでに亡くなられた駿台予備校の伊藤和夫先生の『英文解釈教室』の序文に、「英語⇒物事⇒日本語」の話しが紹介されていた。伊藤先生の「訳」は、英語を日本語へ移し変える作業というより、英語で読み取った世界を日本語で語りなおすことである。この「訳」の力がつくと、次第に私たちもコウモリのように自由に飛び回ることができるのかもしれないし、その楽しさは翻訳作品と原著を読み比べたり、実際に翻訳体験をしたりしていれば頷けるものだろう。

ただ、急いで付け加えると、コウモリもやがては飛べなくなってしまう。コウモリが飛び続けるには、作中で主人公が見せていたように、面白い日本語表現を見つけたらメモをする習慣や、原文を無我夢中で読みふける経験、そして原著者の世界を何とかして日本語読者に伝えたいという熱意が不可欠だろう。主人公が原著者(フィリップ)に抱いた敬意と愛情は、翻訳をする際にとても大事なことを教えてくれる。



と、このように口だけでは語ることができても、実際にすると難しいのが翻訳であるが、(そして自分はつくづく翻訳が苦手と実感するが笑)、この「翻訳家」を「コウモリ」というメタファーで表す本作の翻訳論は、大変面白かった。

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