中学校英語教師のsava 、高校英語教師のmochi, Ninsoraの3人で運営しております。主に英語教育に関する記事を投稿します。
"Everything Should Be Made as Simple as Possible, But Not Simpler"(Einstein)どんな難しいことを説明する時も、レベルを落とさずに(妥協せずに)簡潔に述べるべき。2013/05/27のNHKスーパープレゼンテーションで紹介されていましたが、何事も相手に分かってほしいという気持ちを持って簡潔に説明することの大切さを教えられました。
「他人が出逢って僕たちは生まれた 誰かを信じる遺伝子でできてる」("Not Alone~幸せになろう~/SMAP)「協同学習を取り入れた英語授業のすすめ」(江利川春雄編著、2012、大修館書店)を読んでいてふと思い出した歌詞です。協同学習では、他の生徒と協力することで、1人ではできなかったであろう課題(「背伸びとジャンプ」)もできるようになります。しかし、「そういう人間の素晴らしさを競争という学び方や生き方が奪ってきたとしたら」(p.65)悲しいことです。引用した歌は個人的にとても好きです(^^)ぜひ聞いてみて下さい!
大学院に入院してから、はや1ヶ月が経ちました。以下の2つは、イギリス留学時のホストファミリーから送られた言葉です。改めてこの2つをここに書いておきます。■ Readers are plentiful. Thinkers are Rare!■ A single conversation across the table with a wise man is better than 10 years mere studying books.これまで「読む」量が足りないと思ってきましたが、同時に「考える」こと、そして考えたことを誰かと「語る」ということを大切にしないといけないと思いました。せっかく研究室には優秀な同僚がたくさんいるので、この環境を2年間活用したいと思いました!さて、そのために「読む」をしなければ...焦
続いてもう1つ。昨年初等国語教育の授業で先生から言われたことばに「私たちは一生言語学習者だ」というのがあり、これが深く印象に残っています。もちろん高校卒業しても英語は学び続ける人もいるでしょうが、どこかで私たちは言語学習者でなくなってしまうのかもしれません。それは、社会に出て忙しい毎日のせいで「ことば」に目を向ける余裕がなくなったり、外国語を学ぶ意義を見出せなくなったり、日本語ですら同じようなコミュニティの「会話」が多くなってしまうことで、他コミュニティや他者との「対話」が少なくなってしまったり。(会話と対話は言語教育における他者参照)そこで上の言葉を英訳したものを載せます。 (これは英会話教室の高校3年生に昨年送った言葉のひとつです。) 高校卒業しても、社会に出ても、「言語学習者」としてことばにこだわって、母語でも外国語でも学び続けて欲しいと思います。同時に、自分もそうでありたいです。We are life-long language learners.
名探偵コナン劇場版の第10弾、「探偵たちの鎮魂歌」の最後のシーン。コナン君が爆破装置を解除しようとパソコン操作をしているとき、爆破数分前にこのままではうまくいかないと気付いてパソコンの電源を落とします。そのときに犯人に対して言い放つこの言葉。完璧なんてこの世にねえよ。絶対どこかで歯車がかみ合わなくなる。そのまま無理やり動かして何もかもだめにするか、一度リセットして正常に戻し頑張っておくれた分を取り戻すかはその人次第。あんたは怖かっただけだよ。リセットするのがな。(名探偵コナン劇場版「探偵たちの鎮魂歌」)なにかやっているときにうまくいかないな~と思うことは誰しもあるはずです。そんな中、無理やりそのまま突き進むか、一度ゼロまで戻してはじめからやり直すかによって、その後に大きく影響は出るのかもしれません。だから、何かおかしいと思ったら、一度スタート地点まで戻ってみるのも良いのかもしれません。特に、新しい環境に出てすぐだったり、研究テーマを決めたすぐであったり、データ分析をある程度進めたけれどカテゴリー間の整合性がとれないと薄々気付いていたり(笑)。リセットすることを恥ずかしく思わず、リセットすべきと気付けた自分を誉められるようになりたいものですね。それにしても、学会直前、真剣にコナン君のことばを思い返した自分って一体・・・(笑)
We learn from history that we do not learn from history. Georg Wilhelm Friedrich Hegel英語教育史を勉強していると、よく感じますね。笑弁証法のヘーゲルがこのような言葉を残しているところに面白さを感じます。やはり英語教育も「系統発生」を繰り返すのでしょうか...。
"Everything Should Be Made as Simple as Possible, But Not Simpler"(Einstein)
返信削除どんな難しいことを説明する時も、レベルを落とさずに(妥協せずに)簡潔に述べるべき。2013/05/27のNHKスーパープレゼンテーションで紹介されていましたが、何事も相手に分かってほしいという気持ちを持って簡潔に説明することの大切さを教えられました。
「他人が出逢って僕たちは生まれた 誰かを信じる遺伝子でできてる」("Not Alone~幸せになろう~/SMAP)
返信削除「協同学習を取り入れた英語授業のすすめ」(江利川春雄編著、2012、大修館書店)を読んでいてふと思い出した歌詞です。協同学習では、他の生徒と協力することで、1人ではできなかったであろう課題(「背伸びとジャンプ」)もできるようになります。しかし、「そういう人間の素晴らしさを競争という学び方や生き方が奪ってきたとしたら」(p.65)悲しいことです。
引用した歌は個人的にとても好きです(^^)ぜひ聞いてみて下さい!
大学院に入院してから、はや1ヶ月が経ちました。以下の2つは、イギリス留学時のホストファミリーから送られた言葉です。改めてこの2つをここに書いておきます。
返信削除■ Readers are plentiful. Thinkers are Rare!
■ A single conversation across the table with a wise man is better than 10 years mere studying books.
これまで「読む」量が足りないと思ってきましたが、同時に「考える」こと、そして考えたことを誰かと「語る」ということを大切にしないといけないと思いました。
せっかく研究室には優秀な同僚がたくさんいるので、この環境を2年間活用したいと思いました!
さて、そのために「読む」をしなければ...焦
続いてもう1つ。
返信削除昨年初等国語教育の授業で先生から言われたことばに「私たちは一生言語学習者だ」というのがあり、これが深く印象に残っています。
もちろん高校卒業しても英語は学び続ける人もいるでしょうが、どこかで私たちは言語学習者でなくなってしまうのかもしれません。それは、社会に出て忙しい毎日のせいで「ことば」に目を向ける余裕がなくなったり、外国語を学ぶ意義を見出せなくなったり、日本語ですら同じようなコミュニティの「会話」が多くなってしまうことで、他コミュニティや他者との「対話」が少なくなってしまったり。(会話と対話は言語教育における他者参照)
そこで上の言葉を英訳したものを載せます。 (これは英会話教室の高校3年生に昨年送った言葉のひとつです。) 高校卒業しても、社会に出ても、「言語学習者」としてことばにこだわって、母語でも外国語でも学び続けて欲しいと思います。同時に、自分もそうでありたいです。
We are life-long language learners.
名探偵コナン劇場版の第10弾、「探偵たちの鎮魂歌」の最後のシーン。コナン君が爆破装置を解除しようとパソコン操作をしているとき、爆破数分前にこのままではうまくいかないと気付いてパソコンの電源を落とします。そのときに犯人に対して言い放つこの言葉。
返信削除完璧なんてこの世にねえよ。絶対どこかで歯車がかみ合わなくなる。
そのまま無理やり動かして何もかもだめにするか、一度リセットして正常に戻し頑張っておくれた分を取り戻すかはその人次第。
あんたは怖かっただけだよ。リセットするのがな。
(名探偵コナン劇場版「探偵たちの鎮魂歌」)
なにかやっているときにうまくいかないな~と思うことは誰しもあるはずです。そんな中、無理やりそのまま突き進むか、一度ゼロまで戻してはじめからやり直すかによって、その後に大きく影響は出るのかもしれません。だから、何かおかしいと思ったら、一度スタート地点まで戻ってみるのも良いのかもしれません。特に、新しい環境に出てすぐだったり、研究テーマを決めたすぐであったり、データ分析をある程度進めたけれどカテゴリー間の整合性がとれないと薄々気付いていたり(笑)。リセットすることを恥ずかしく思わず、リセットすべきと気付けた自分を誉められるようになりたいものですね。
それにしても、学会直前、真剣にコナン君のことばを思い返した自分って一体・・・(笑)
We learn from history that we do not learn from history. Georg Wilhelm Friedrich Hegel
返信削除英語教育史を勉強していると、よく感じますね。笑
弁証法のヘーゲルがこのような言葉を残しているところに面白さを感じます。
やはり英語教育も「系統発生」を繰り返すのでしょうか...。